ユーモアを交えつつ誰とも違う視点で哲学し続けるPOP思想家の水野しずさん。
佐久間宣行さん、能町みね子さん、吉田豪さんなど多くの支持者を持つ彼女が、3月29日初めての論考集『親切人間論』を刊行する(全国発売&ネット注文分の到着は31日〜見込み)。

2023年3月31日刊行

その佐久間さんが「水野しずは考え続ける。世界のしんどさも歪みも面白さも全部引き受けて」と帯コメントにも書いたように、生きづらさを抱えた人にこそ読んでほしい、笑えて大真面目な哲学書だ。
本書から特別抜粋掲載でお届けする第2回は、なんとあの矢沢永吉についての考察。
推しや共感がもてはやされるこの時代、矢沢永吉とそのファンの中に共感のやり過ぎ現象を見る。

水野しずさん 撮影 須藤絢乃
 

自分のことを矢沢永吉だと思い込んでいる人々

矢沢永吉の周囲には最高の話が事欠かない。

私が好きなエピソードは中島らもの小説、冒頭で紹介された「珍しくNHKの番組でインタビューに答えていた矢沢永吉が、ジュースを飲もうとしては喋り出しまた飲もうとしては喋り出し、結局1時間ジュースを一口も飲まなかった」という描写。
このエピソードがすごいのは、人生のスピード感が世間とかみ合わず、速くしてもかみ合わず、遅くしてもかみ合わず、結果としてやむを得ず精神科を何軒も回ってかき集めたやり過ごし用の向精神薬を仲間たちと分類・仕分けをしている人物が語り手となって描写されているという構造にある。

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かける言葉がない。
痛烈な客観性はどのようなセンサーの鈍感さよりも結果的に狂気を帯びていくといういい例。

それで言ったら矢沢永吉のファンの方々は健全すぎるくらいに健全で、どうしたってそもそもの「スピード感」というもののズレを気にするタイミングすらそもそも一生ないという印象がある。

イベント会社に勤務していた友人が、矢沢永吉のコンサートを担当したときの話が印象的で、矢沢永吉のファンの方は、基本的に矢沢永吉本人が目の前に現れるまでは自分が矢沢永吉だと思っているフシがある。

だから矢沢永吉本人が入場する直前まで、会場(特に最前列付近)には基本「矢沢永吉」しか存在しないのである。