2023.03.18

“読売新聞のドン”渡辺恒雄氏と岸田首相が「異例」の会合…その後、意気軒昂、絶好調の理由

歳川 隆雄 プロフィール

「白さも白し冨士の白雪」

特筆に値するのは、第6章「密約と裏切り―政治家たちの権謀術数」にある「白さも白し富士の白雪」の一件だ。この顛末は『君命も受けざる所あり』にも記述されているが、概ね次のような「事実」である。

1956年12月の自民党総裁選で当時の岸信介幹事長、石橋湛山通産相、石井光次郎総務会長がポスト鳩山一郎を争った。この総裁選で初めて実弾(カネ)が飛び交ったことで知られる(註:当時の総裁選は公職選挙法が適用されなかった)。

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有力視された岸は弱小派閥を擁した大野伴睦に平身低頭して支持を懇願するが、自らの心境は「白さも白し冨士の白雪」(「全く白紙」の意味)だと遇われる。だが密かに石橋に通じていた大野率いる大野派が決戦投票で(白雪が)溶けて流れて石橋支持に回り石橋内閣が誕生した。

 

そして4年後の60年7月総裁選では大野が岸の意趣返しに泣く。前年1月16日に首相の岸が大野、河野一郎、佐藤栄作と「次ぎは大野、次いで河野、佐藤の順で首相とする」誓約書(立会人は児玉誉士夫、萩原吉太郎、永田雅一)を作成していたのだ。しかし総裁選直前に岸は「俺の心境は白さも白し冨士の白雪」と言って密約を反故にした。結果、大野は土壇場で立候補断念を余儀なくされた。一枚の紙っ切れ(誓約書)など平気で無視される政治の世界は怜悧冷徹なのだ。

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