2023.03.22
西洋史学の黎明期を彩る「クセつよ教授」たち! 「雷部長」に、「東洋史」大家になった“一番弟子”?
ヨーロッパの歴史を研究し、講義をする「西洋史学」は、明治維新後に西洋からもたらされ、まだ150年余りの学問である。国史・東洋史・西洋史という近代歴史学の三分野が確立するまでの黎明期には、個性的な学者たちが「日本の歴史学」の将来を見据えて、日々格闘していた。『日本の西洋史学 先駆者たちの肖像』(土肥恒之著、講談社学術文庫)には、そんな歴史家たちが次々登場する。
一期生はたった3人
まずは、ドイツ流の実証史学を初めて日本に移植した、ルードヴィヒ・リース(1861-1928)である。ユダヤ系ドイツ人のリースは、1887(明治20)年、26歳の年に、東京帝国大学史学科講師として単身来日した。

リースは、近代歴史学を確立したレオポルト・フォン・ランケの弟子とされるが、年齢は60歳以上離れている。リースはきわめて字がきれいであったことから、ランケから原稿の清書を依頼され、自宅に赴いて親しく接する関係だったという。
〈リースの最初の授業をうけた一期生の白鳥庫吉(1865-1942)によると、同級生はわずか三名であった。「史学科の講師としてはリース師一人で、然も講義は三年間で近代に及ばず、漸つとフランス革命までやつて、僅かに西洋史の近代を除いた概説を修学して、堂々たる学士さまとして社会におし出されたわけです。」〉(18頁)
というから、日本の歴史学の始まりは、はなはだ心許ない船出だったのだ。しかも、このリース先生の授業が、なかなかの苦行だったらしい。