3月12日、ドラマ『ブラッシュアップライフ』(日本テレビ系)が大好評のうちに放送を終えた。
本作は、脚本家としてのバカリズムの現時点における集大成のようなドラマであり、また、のちに「あれが彼の転換点だった」と回顧されるような出世作になったと思う。バカリズムがお笑い芸人としてある種の天才であることはもはや議論を待たないが、本作において、彼は明らかに脚本家としても腕を数段上げたと言っていいだろう。
物語は、埼玉県にあると思しき郊外の街・北熊谷市の市役所に勤める「あーちん」こと近藤麻美(安藤サクラ)が、幼馴染の「なっち」こと門倉夏希(夏帆)や、「みーぽん」こと米川美穂(木南晴夏)らと他愛ない会話を繰り広げながら、何の変哲もない独身アラサーライフを満喫している日常風景で始まる。
ところが、不慮の交通事故により33歳で亡くなった彼女は、死後案内所の受付係(バカリズム)によって、来世はグアテマラ南東部のオオアリクイであると告げられてしまう。再び人間に生まれ変わるのに必要な徳を積むため、彼女は近藤麻美としての2周目の人生をやり直すことになる……というのが第1話の導入であった。
彼はこれまでも数々のドラマ脚本を手がけてはいるが、それらはどこか“長編コントの延長”という趣きがあった。あくまで軸足は“芸人”に置いたうえで、笑いのパターンやバリエーションを広げる実験の場として、テレビドラマというジャンルを借りているように見えたのである。
しかし、本作『ブラッシュアップライフ』は、そんな彼が初めて“脚本家”としてテレビドラマという表現に照れずにまっすぐ向き合って書き上げたテレビドラマ、という印象を受けた。これはあくまで筆者の個人的な見立てであり、本人が読んだらバッサリと完全否定されるかもしれないが、物語の中に笑いのテクニックや作劇のシステムとして以上の、“作家性”とも言うべきこだわりが込められていた気がするからだ。
本稿では、そんな「脚本家・バカリズム」の持つ作家性とは何なのかについて考えてみたい。