2023.03.26

「韓国では出ていけと言われた」「友人たちは戦闘で何人も死んだ」…「イエメン人難民」がイエメン、韓国、日本で見てきた“過酷な現実”

「イエメン人難民」と「日本」

「幸福のアラビア」と呼ばれるほど栄えたイエメンは、2015年以降、暫定政府と反政府武装組織フーシ派との間で内戦が勃発し、400万人が国を追われた。

30代半ばのモハメド(仮)もその一人で、マレーシアで数年間過ごした後、韓国最大の離島・済州島に渡り、日本にやってきた。そんな彼らの取材を続ける『逃亡の書 西へ東へ道つなぎ』(小学館)の著者が、日本にやってきたモハメドと再会。世界を渡り歩き生きている「難民」の姿から、日本と世界のいまが浮かび上がってくる――。

モハメドは少し前までソウル近郊の車の工場で働いていたが、いまはやめ、次に新しい「ビジネス」を始めるまでの充電期間ということだ。貯めたお金で、日本以外にもアジアを何ヵ国か旅したらしい。見せてもらったパスポートにはこの短期間に押されたいくつものスタンプが踊っていた。

「俺の楽しみは新しい経験をすることと、商売をすること。それから人を説得することさ。君は商売する気はないの? ある場所にないものを仕入れてきて、売る、それだけで、利益はすべて俺たちのものになるんだよ?」

Photo by gettyimages
 

商売上手のアラブ人の血を感じさせほほえましくもあるが、いまのところ商売っ気を持てないでいる私は、このオルグ攻勢に正直、辟易した。

彼はバックパックの他に、大きなスーパー袋を一つ手に下げて旅をしていた。中には駄菓子や緑茶など、「日本で有名なもの」がたくさん入っている。お土産に買い集めているのだ。

「ほかになにか日本で有名なものあったら教えてくれ」

言われて思いついたのは、毎日のように食べている「ぷるんと蒟蒻ゼリー」だ。有名かどうかは知らないが、いかにも日本の、上州のオリジナリティあふれる土産になろう。ただ、説明がむずかしい。

「うちに着いたら見せてやるよ」

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