2023.03.23
いまはなき「東急目蒲線」、じつはものすごく「画期的な鉄道」だった…ってどういうことだ?
「画期的な出来事」
かつて、東京の目黒と蒲田をつないでいた東急電鉄の「目蒲線」。この路線の前身である「目黒蒲田電気鉄道」が開通したのは、いまからちょうど100年前、1923年3月のことです。いわば今年は目蒲線誕生100年にあたります。
現在は、東急の公式サイトに〈東急多摩川線は、2000年8月6日に、目蒲線が目黒~多摩川~武蔵小杉間と、多摩川~蒲田間の2つの路線に分かれ、多摩川~蒲田間が東急多摩川線になりました〉とあるように、「目蒲線」の名称が失われてしまっています。
しかしじつはこの路線、歴史的な視点で見ると、画期的な特徴・特質をもつものだとされているのです。
その特徴について、専門的な知見から解説しているのが、『電鉄は聖地をめざす 都市と鉄道の日本近代史』です。著者は、日本近代史、近代都市史が専門で、川崎市市民ニュージアムで学芸員をつとめる鈴木勇一郎氏。
同書は、日本の鉄道がどのようにして発達してきたかを、行楽——とりわけ寺社仏閣への参詣——と関係づけて描き出した書籍ですが、そのなかにあって、行楽の文脈からやや離れて解説される目蒲線の特徴は興味ぶかいものがあります。
〈一九二三(大正一二)年、目黒と蒲田の間に目黒蒲田電気鉄道が開業する。のちに東急電鉄目蒲線となり、現在は目黒線と多摩川線に分割されている路線である。池上電鉄の後身である池上線などと並び、城南の住宅地域を走る東急電鉄の路線網の一部を構成しているが、沿線に特別な名所があるわけではなく、ロマンスカーのような特急が走るわけでもない、正直に言えば少々地味な路線だ。だが、電鉄の歴史の中で目黒蒲田電気鉄道の登場は、画期的な出来事であった〉