祖国を追われた「イエメン難民」、韓国の済州島へ
二月下旬、私は一人のイエメン人と再会した。
彼、モハメド(仮)は30代半ばの独身男性。もう9年近く、故郷の土を踏んでいない。アラビア半島の南端に位置し、かつては「幸福のアラビア」と呼ばれるほど栄えた祖国は、2015年以降、暫定政府と反政府武装組織フーシ派との間で内戦が勃発し、400万人が国を追われた。

その一人であるモハメドはマレーシアで数年間過ごした後、韓国最大の離島・済州島に渡った。同じような経緯で済州に逃げた仲間は2016年夏の段階でおよそ600人。なぜ済州が選ばれたのかと言えば、当時この島は観光促進のために外国人のノービザ渡航を広く認めており、イエメンもその対象国になっていたからだ。それに加えてLCC(低価格航空)が就航したことが、マレーシアで難民認定を得られなかったイエメン人の背中を押したのだった。
この間の事情は拙著『逃亡の書 西へ東へ道つなぎ』(小学館)に詳しい。当時私は再三済州に渡り、難民審査のビフォアーアフターをいわば定点観測した。モハメドと知り合ったのもその頃だ。
結果だけ記せば、済州島で難民申請を出したイエメン人の大半は「人道的滞留許可」という滞在資格を得、韓国内で暮らしてゆけるようになったのだった。一方、正規の「難民認定」は若干名にしか出されなかった。