2023.03.24
明治天皇が「崩御」したとき、「日本国民」はどんな反応をしたか? 皇居の前に広がった「凄まじい光景」
宮中の生き字引きの記憶
平成の天皇(現在の上皇)の「生前退位」の話が持ち上がってからというもの、皇室という制度について議論が交わされる機会が増えました。
皇室について知るためには、その歴史を知る必要があります。
たとえば、これまで天皇という存在は、国民からどのようなものとして受け止められていたのか、という点。その一端が垣間見えるのが、天皇が崩御したさいの国民の反応ではないでしょうか。
ここでは、明治天皇が崩御したさいの人々の反応に注目してみたいと思います。
明治天皇が病をわずらってから崩御するまでのようすを詳しく報告した書籍に、坊城俊良『宮中五十年』があります。
著者の坊城は、学習院在学中の明治35(1902)年、数え年で10歳のころに宮中に召し出され、「侍従職出仕」という役職につき、明治天皇に奉仕しました。その後、大正天皇や、その妻・貞明皇后(節子〔さだこ〕皇太后)にも仕え、50年にわたって宮中に奉仕した、宮中の生き字引きのような人物です。
さて、明治天皇が崩御するまでは、以下のような経緯をたどります。
明治45(1912)年7月19日深夜、明治天皇は高熱を発し、「御不例」……ふだんとはまったく異なる状態となります。診察がなされ、翌20日には、「尿毒症」で重態であるむねが国民に向けて発表されました。その衝撃はきわめて大きかったようです。
坊城は、以下のように振り返っています。