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学校でのお手紙禁止? よい学校とそうでない学校の「明らかな差」
2023.03.29

おおたとしまさ×苫野一徳対談 2

学校でのお手紙禁止? よい学校とそうでない学校の「明らかな差」

不登校でも学べる』で令和の今の「不登校」に関する情報を濃厚な一冊とした教育ジャーナリストのおおたとしまささんと、『どのような教育が「よい」教育か』『教育の力』『学問としての教育学』など多くの著書を持つ哲学者で教育者の苫野一徳さんが語り合った。
その1回目では、「よい教育とはなにか」についてお届けした。苫野さんは「生きたいように生きられる」ことがよい教育に重要であり、「自由になるための力を育む機会が保障される必要」だと語った。

対談の2回目では、自由になるための力を育むための教育とはどういうことなのか、よい学校とはどういうものなのかを実例をもとにお伝えする。

「自由を育む教育」とは

おおた オンラインでの個別学習などを含めた多様な教育機会の中で、十分に「自由」と「自由の相互承認」の実質化が可能なのか、という観点からいきましょうか。

苫野 できないことはないと思うんです。教育の本質、すなわち、「自由」と「自由の相互承認」という最上位の目的さえ見失うことがなければ。工夫の仕方はいろいろあるだろうと思います。
その意味では、公教育こそ、改めてこの最上位の目的を意識し直そうと繰り返し言いたいと思っています。「自由」と「自由の相互承認」の実質化。この本質を見失ってしまったケースは、いまの学校には残念ながら少なくないので……。

苫野一徳さん

おおた どういうケースですか。

苫野 1回目でも少しお話しした、細かなルールは一つの典型ですよね。例えば、お手紙禁止とか、交換日記禁止といったルールのある小学校さえ、いまは少なくありません。友達の悪口を書く子がいて、トラブルになるからと。ほかにも、キャラクターつきの筆記具を持ってきちゃいけないとかは、もはや普通のことですよね。

そうすると何が起こるかというと、お互いを監視して責め合う教室文化ができてしまうんです。「あ〜お手紙書いちゃいけないのに〜」みたいに。相互承認どころか、相互不寛容を育んでしまう

Photo by iStock
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