岸田総理の息子は「実績ゼロ」なのに大出世…金も権力も「なにもかも世襲」になったニッポンの「ヤバい未来」

生まれ持った地位や財産に関係なく、幸せになれる世の中を作ろう―そんな先人たちの思いを、国のトップたる岸田総理が嘲笑う。いつから日本は、親の力で人生が決まる国になってしまったのか。

銀の匙をくわえた二人

「門閥制度は親のかたきで御座る」

貧しい下級武士の家に生まれ、下駄作りで家計を助けた少年は、苦学の末に幕臣となり、遣米使節として「咸臨丸」で海を渡った。江戸開城の年、彼は自らの私塾を「慶應義塾」と名づける。

冒頭の一文は、福沢諭吉翁が『福翁自伝』(1899年刊)で語った有名な言葉である。「義塾」には「学費のいらない学校」の意味が込められていた。

それから120年あまりが経った。いま皮肉にも、慶應義塾大学を出た二人の若者が親の富と権勢を世襲して、政界入りしようとしている。

Photo by iStock
 

その一人目、岸田翔太郎氏は32歳の若さで総理官邸中枢に出入りする。父親の岸田文雄総理が、後見役である麻生太郎・自民党副総裁にさえ相談せず、独断で引き上げた。総理の言動、思考、機密事項、身辺のこまごまとした事柄すべてを把握し、他の官邸スタッフとは一線を画す「筆頭秘書官」として、である。

あまりにも露骨な人事には、自民党岸田派の議員すら呆れている。

「翔太郎くんが官邸に入ってから重要情報がやたらマスコミに漏れるようになり、年明けのイギリス外遊では物見遊山していたとすっぱ抜かれた。だいたい、3年前まで三井物産でサラリーマンだった30そこそこの坊ちゃんが、振り出しから筆頭秘書官で1000万円を超える俸給までもらうなんて、あり得ない。後継者にするつもりなら、いくら可愛かろうと、地元の事務所で10年雑巾掛けさせるのが普通です。

経験ゼロの息子をいきなり役員にする中小企業の社長じゃあるまいし。自信過剰につながるから、何より翔太郎くん自身のためにもならないよ」

関連記事