今も多くの人の心を揺さぶる伝説のロックシンガー尾崎豊さん。亡くなってから30年目に、妻の繁美さんが、長く封印してきた尾崎豊さんへの想いや心に秘めてきたことを語る連載です。 

前回の11回目では、繁美さんの妊娠生活から、出産までの日々を紹介しました。妻の妊娠について最初は戸惑いながらも、繁美さんに寄り添う豊さん。繁美さんの体の変化とともに、「この子はロックとクラシックで育てる」と、音楽を聞かせ、自ら弾き語りをするなど、夫として、父として愛を注いだ日々。生まれてきた裕哉さんに最初に逢う日は、ベルサーチのジャケットでおしゃれをし、病院でひときわ目立っていたことも、ロックスターならではのエピソードです。

若者のカリスマであり、時代の象徴となった・尾崎豊と、繊細で傷つきやすい魂をもつ・尾崎豊……そのふたつの側面を持つ豊さんを受け止め続けた繁美さん。激しいやきもちや束縛に戸惑っていた時期もありましたが、妊娠後期から訪れた優しい時間。21歳の繁美さんは無事に出産をし、豊さんは、23歳で息子・裕哉さんの父になったのです。繁美さんは子供の成長とともに、何を感じていたのでしょうか……。

12回目の今回は、父親になってからの変化、その後に訪れる別居生活と夫婦の変容について紹介していきます。

以下、尾崎繁美さんのお話です。

 

朝から晩まで病室で子どもを見ていた豊

1989年7月24日の早朝、息子・裕哉が産まれました。生まれるまでは「本当に俺の子か?」と試すかのように、わざと言ってみせることもありました。誰しもがそうだと思うのですが、実際に生まれて自分の手に我が子を抱くと、「初めての神秘」に触れているようでした。豊のお母さんが一眼みて「赤ちゃんの時の豊にそっくりよ」と驚いていると、豊は「そうかなぁ?」と嬉しそうに微笑んでいました。男の人って、こうして似ている部分を確認しながら「父性」が芽生えていくものなのだと思いました。

出産してから退院まで1週間くらいでしたが、いつも豊は面会時間よりだいぶ前に来て、終了時間ギリギリまで病室にいました。看護師さんたちも「ベビーはパパに愛されて幸せね」と話していました。

退院した後、「僕の子どもを産んでくれてありがとう」「産み出すって神秘だよね。産まれてくるって奇跡だよね」と言って、豊は一輪の真っ赤な薔薇をプレゼントしてくれました。そして良く見ると、その薔薇には「エターナル」と書かれた名前のタグが付いていて、その名前の横に彼が描いたハートマークが添えられていました。

「Eternal♡」
後に「永遠の胸」というタイトルの曲が出来上がりました。

妊娠中、豊からどんな曲を創ってほしい?と聞かれたので、ポリスの「EVERY BREATH YOU TAKE」みたいなテンポの曲を創ってとリクエストしたら、数日後に録音したばかりの「永遠の胸」のデモテープを聴かせてくれました。

「『EVERY BREATH YOU TAKE』ってさ、NYに行ってから歌のニュアンスを知ったのだけど、実はけっこう怖い歌なんだよ。いつでもお前を見ているからな、覚悟しておけって曲でさ。」と教えてくれました。

「もっと相手の幸せを願ったり、本当に伝えたい本心を優しい気持ちで言えたらいいのに」

「僕はなぜ生まれてきたのだろうって考えれば明確さ。きっとそれは、いつでも君と一緒にいるからと言うことなんだよ。」とも。

彼とこれから生まれる子供と3人で一緒に生きていく幸せをかみしめていました。