若者のカリスマであり、伝説のロックシンガーである尾崎豊。表舞台の姿とは異なり、実際には、繊細で傷つきやすい魂を持つ人でもありました。そんな豊さんに常に傍らで寄り添い、心の叫びを理解しようと、すべてを受け止めた唯一無二の存在であった妻・繁美さん。豊さんが亡くなってから30年という節目に、長く封印してきた想い語る連載です。
12回目の前編では、豊さん23歳、繁美さん21歳で親となったふたりが子どもといかに向き合い、何を感じたのか。そして、豊さんの仕事の変化や新たな葛藤についてお伝えしました。後編では、求め合っているのに、なぜか噛み合わなくなっていくふたりの関係と別居生活、豊さんの不倫についてお話いただきます。
以下、尾崎繁美さんのお話です。
不倫に対して「嫉妬」よりも「安堵」するの想いも
お互いの気持ちが少しずつすれ違っていくことに気づき、豊も私も距離を縮めるように気にかけながら行動はしていたのですが、いろんなタイミングもズレ始め、ふたりはどんどん離れてしまう……。お互いに大切な存在であることはわかっているのに、なぜか歯車が噛み合わなくなってしまったのです。
そして、莫大な金額の飲み代のあとは、驚くほど高価なジュエリーの領収書が増えるようになりました。
豊が浮気……。私が知る限り、当時同時進行で何人かいました。豊にジュエリーのことをたずねると「今、仕事関係でお世話になっている人へのプレゼントだ」と言っていましたが、明らかに女性です。私が注意するほど、その額は増えていきました。夜中にかける電話、海外からの電話、ブランドの店員からかかって来る「リングの直しが終わりました」という私のものではないジュエリーの電話……。そのひとつひとつにやきもちを焼いていては、私の身が持ちません。
もちろん愛する豊がほかの女性と一緒に時間を過ごしていることに初めは嫉妬しましたが、同時にどこかホッとする部分もありました。というのも、女性との恋愛に集中しているときは、豊の酒量と精神安定剤の量が少なくなっていたからです。少なくとも健康やクスリの心配はしなくてもいいということ。私も次第に「あ、普通の男の子になったんだな」「今はそういう時期」なんだと、特定の人ではなく複数いることに安堵し、見守るような気持ちにもなりました。そして、豊の気が外に向いている間に、私は子育てをしつつ教習所に通うなど、今できることの生活を整えていったのです。
ある日、豊は「小説に集中したい。しばらくホテルで缶詰になる」と新宿にあるホテルを定宿にするようになり、別居のような生活が始まりました。この頃は互いの心が飽和状態になっていました。今まで一緒に居すぎたのかもしれないと思う部分もあったし、お互いに少し離れた方がよいのではないかとも感じてもいました。何より、豊がボストンバッグに詰める荷物が少ないのを見て、すぐに帰ってくるであろう、と思ったのです。そして、これもまた、どこまで私が豊を愛しているかの試し行動の一種だと、俯瞰して構えてもいました。