2023.04.10
朝ドラ『らんまん』のモデル、「植物学の父」牧野富太郎が植物に夢中になった“意外なきっかけ”
朝ドラ『らんまん』の主人公・槙野万太郎のモデルとして注目をあつめる牧野富太郎。
彼は日本の植物学を独力で切りひらいた天真爛漫な植物学者でした。
幼いころから植物をひたすら愛し、その採集・分類に無我夢中。
学界の権威による妨害や軋轢、そして生活の貧しさなどおかまいなし。
ひたむきに研究に没頭しつづけた「日本の植物学の父」が採集した標本は、なんと60万点、命名した植物は2500あまり。
こんな牧野にも植物学の世界へと足を踏みいれる、きっかけとなる出来事がありました。
独特の牧野節でつづった波乱万丈な「わが半生」(『牧野富太郎自叙伝』所収)を一部抜粋、編集しながら紹介します。
彼は日本の植物学を独力で切りひらいた天真爛漫な植物学者でした。
幼いころから植物をひたすら愛し、その採集・分類に無我夢中。
学界の権威による妨害や軋轢、そして生活の貧しさなどおかまいなし。
ひたむきに研究に没頭しつづけた「日本の植物学の父」が採集した標本は、なんと60万点、命名した植物は2500あまり。
こんな牧野にも植物学の世界へと足を踏みいれる、きっかけとなる出来事がありました。
独特の牧野節でつづった波乱万丈な「わが半生」(『牧野富太郎自叙伝』所収)を一部抜粋、編集しながら紹介します。
「永沼先生に負うところ極めて大である」
明治12年に高知へ丹後の人、永沼小一郎という人がきた。この人は神戸の学校の先生で、高知の師範学校の先生になってきたのである。
西洋語の多少できる人で、科学[サイエンス]のことをよく知っていて、植物のことにも詳しかった。永沼先生と私とは極めて懇意になった。早朝から夜の11時頃迄、話し続けたこともあった程である。
永沼先生はベントレーの植物の本を訳し、また土佐の学校にあったバルホアーの『クラスブック・オヴ・ボタニイ』という本の訳もし、私はそれを見せてもらった。
この人は実に頭のよい博学の人で、私は色々知識を授けられた。
永沼先生は土佐に久しくいたが、その間高知の病院の薬局長になったりした。化学・物理にも詳しく、仏教もよく知っていた。
永沼先生は植物学のことをよく知っていたが、実際の事は余りよく知らなかったので、私に書物の知識を授け、私は永沼先生に実際のことを教えるという具合に互に啓発しあった。
永沼先生は後に土佐を去り東京で亡くなった。
私の植物学の知識は永沼先生に負うところ極めて大である。