2023.04.14

西洋史だけじゃない! 「日本史」もここに始まった「お雇い外国人」リースという“媒介変数”

「歴史学」にも歴史がある!

西洋に追いつけ、そして追い越せ――そのために、明治日本は西洋から多くの教師を招き、その学問と技術を取り入れた。『日本の西洋史学 先駆者たちの肖像』(土肥恒之著、講談社学術文庫)の巻頭に登場するルートヴィヒ・リース(1861-1928)もそうした「お雇い外国人」の一人である。しかし、リースがもたらしたのは「西洋史学」だけではなかった。「国史」すなわち日本史学も、彼の教えによって大きく発展したのである。日本の「国史」と「西洋史」はどのように誕生したのか。『「国史」の誕生 ミカドの国の歴史学』(講談社学術文庫)の著者・関幸彦氏が解説する。

日本の歴史学の夜明け

“媒介変数”的な人物が必要な分野もある。学問の世界はその感が強い。歴史学の場合もそうだ。ルートヴィッヒ・リースはそうした立ち位置にある。多くの史学史が語るように、リースはわが国の近代史学の祖とされる。

リースの師で高名な歴史学者ランケ(1795-1886)は、実証主義史学の源流とされ、歴史事象での普遍的なものと、個性的なものの重要さを主張した。「本来、それがいかに在ったか」。この著名な言説は史料を重視する実証史学の基本とされる。リースはそのランケの晩年の弟子とされるが、彼が学んだベルリン大学では師のランケは引退しており、師の自宅での原稿整理という形でリースは謦咳に接する機会を得たという。

ルートヴィヒ・リース

大学卒業後、教師の資格を得たリースがお雇い外国人として来日したのは、1887年(明治20)、ランケ死去の翌年のことだった。当時26歳の若き歴史家は、以後15年間にわたり、ドイツ史学の移植に努め、わが国の歴史学の夜明けに貢献することになる。

それにしても、なにゆえにドイツ史学だったのか。いくつかの解答が可能だろう。
明治も後半の段階は、かつての“お雇い外国人”からの脱却が除々に進められてゆく。幕末から明治初期は、欧米のなかでも“お手本”は英・仏・米が圧倒的で、殖産興業を重視する科学技術分野では、特にその比重が大きかった。対して非実学的な学問分野、とりわけ人文・社会学系にあっては、事情を若干異にした。わが国と似た国家統合の事情があったドイツとの関係は、明治中・後期に、深まっていった。

学問の基礎となる大学の設置も含め、この点は共通した。リースの肩書はその帝国大学の「文科大学史学教師」ということになる。「文科大学」とは文学部にあたり、哲・和文・漢文・博言の四学科構成だったが、リース来日直後に、史・英文・独逸文の三学科が増設された。彼はその増設された史学科教師として迎えられた(『東京帝国大学五十年史』)。

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