語学留学のために夫と子供と家族三人でカナダに住む。
ワクワクと不安とが入り混じるそんな挑戦の中、もしあなたががんだと告げれたら――。

直木賞作家・西加奈子さん初のノンフィクション『くもをさがす』は、西さん自身の体験を綴ったものだ。

2019年12月から語学留学のため夫と子どもとともにカナダに滞在している西さんが、2021年の5月、左足の膝と、右足のふくらはぎに突如できた大量の赤い斑点に気づいたところから話は始まる。慣れない病院に行った西さんは、気になっていた胸のしこりのことを医師に話した。「1分だけなら別の相談にのる」と答えた医師は、それ以上の時間をかけて診察し、超音波検査を受けるように勧めた。
8月に乳がんを告げられ、9月にはトリプルネガティブ乳がんという難易度の高いものだとも判明した。そして翌年1月には、抗がん剤治療のさなか、コロナの陽性となってしまった。

カナダの自宅での西さん 撮影/山崎智世

コロナ禍で国を超えた行き来も、病院にかかることそのものもハードルが高かった時期に、日本とは異なる医療システムで、不自由な身体を抱えた生活について率直に綴られた本作。ジェーン・スーさんは「思い通りにならないことと、幸せでいることは同時に成り立つと教えてもらったよう」という言葉を寄せている。

FRaUwebでは西さんが思いを込めて綴った本作刊行を記念してロングインタビューを慣行。合わせて『くもをさがす』本書の第3章「身体は、みじめさの中で」より、抗がん剤の治療のさなか、発熱して救急病棟に行った時のエピソードを特別抜粋記事としてお送りする。

 

救急外来へ

救急外来は、担架と警察官で溢れていた。大きな事故でもあったのだろうか。座っている私のすぐそばで、若い男性が一人、担架の上で横たわっていた。女性が寄り添って、ずっと彼の頭を撫でていた。とても寒い日だった。

受付で症状を訴えて、すぐに熱を測ってもらった。39度4分だった。それから、待合室のベンチに座って、名前が呼ばれるのを待った。座っているのが辛く、寝そべりたかったが、そんなスペースはなかった。
一昨日、Sが咳でデイケアを休んだ。昨日は、夫が体のだるさを訴えた。抗がん剤治療中の私には好ましくない状況だ。免疫がとことん落ちた体は、簡単にウィルスに罹患してしまう。絶対に感染しないようにしようと、二重にマスクをつけ、何度も手を洗い、うがいをした。でも、Sから離れていることは出来なかった。

朝起きた時、あ、熱っぽいな、そう思った。嫌な予感がしているうちに、みるみる体温が上がり、それに伴ってひどい悪寒がした。暖房を最強にして、布団と毛布を頭からかぶっても、体の震えが止まらなかった。がんセンターの救急ラインに電話したが、誰も出なかった。留守電に症状についてのメッセージを残し、ベッドで朦朧としていると、折り返しの電話がかかってきた。すぐに救急に行ってくれ、と言われた。夫に車で送ってもらって、救急外来を訪れた。

この状況では、数時間待たされるだろう、そう覚悟したが、比較的早く呼んでもらえた。受付で、抗がん剤治療中であることは告げてあったので、優先されたのだろう。そのまま個室に通され、ガウンに着替えた。その間も悪寒は止まらず、身体中がひどく痛んだ。特に、喉の痛みは耐え難かった。看護師にタイレノールをもらったが、飲み込むのが辛く、薬が効いて悪寒が取れても、喉の耐え難い痛みだけは残った。
胸のレントゲンを取り、血液検査をした。ベッドにいる間、私の指はパルスオキシメーターに挟まれていた。ピ、ピ、という、規則正しい電子音が聞こえた。コロナのための鼻腔検査もした。長い綿棒を鼻腔の奥に突っ込まれ、痛みで涙が出た。

カナダで治療に向き合っている時の写真 撮影/山崎智世