「頼むから外に戻してくれ」2700人以上を看取った医師の後悔…78歳施設入居者男性が脱走を繰り返した理由

灯滅せんとして光を増す

茨城県つくば市で訪問診察を続ける『ホームオン・クリニック』院長・平野国美氏は、この地で20年間、「人生の最期は自宅で迎えたい」と望む、多くの末期患者の終末医療を行ってきた。6000人以上の患者とその家族に出会い、2700人以上の最期に立ち会った医師が、人生の最期を迎える人たちを取り巻く、令和のリアルをリポートする――。

「灯滅せんとして光を増す」という言葉がある。死が直前に迫り、まさに命の灯が消えようとする時、一瞬、その人の命の輝きが増す事のたとえである。

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私は開業から20年間で、およそ2700人もの患者を看取ってきた。その中で、ゴール目前の多くの人たちと伴走してきて、わかってきたことがある。人生の最終盤を、生きたいように生きて死にたいように死ぬ事ができた人というのは、まさに「灯滅せんとして光を増す」事が多いことだ。

ただ、死にたいように死ぬ事は、現代社会ではなかなか難しい。誰かに世話をされなければうまく死ねないからである。家族の介護が無ければ生活を営めない人がいるだろう。行政の支えがなければ暮らしが立ち行かない人もいるだろう。医師の助けがなければ生きながらえない人もいる。

 

多くの人たちは、周囲の誰かが差し伸べてくれた手を取って生きながら、死ぬしかないのである。好きなように生きて死のうとすれば、それは手を貸してくれたその誰かの手を、少なからず煩わせることに繋がってしまう。

だから多くの高齢者や、終末期を迎えた患者たちは、決して後ろ指をさされることのないよう、行儀良く立ち振る舞い、ときには誰かの顔色をうかがいながら、慎ましく生きる。そして、だからこそ医師に勧められるがまま入院し、病室のベッドの上で最後の時を過ごし、死んでいくのだ。

それ自体を否定する気はない。人間は社会性を持った動物である。ワガママを言わず、差し伸べてくれた手を素直に受け取り、慎ましく生きて死ぬ事は、社会の中で生き、社会の中で死ぬ事にも繋がる。それもまた人間らしい尊い死に方のひとつだからだ。

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