作家の西加奈子さんが初のノンフィクションとして上梓した『くもをさがす』は、家族でカナダ滞在中にトリプルネガティブ乳がんだと見つかり、その治療をする中での生活を描いた一冊だ。

カナダで、がんになった。
あなたに、これを よんでほしいと思った。

すでに20万部を超えた本書の初版帯には、こんな風に書かれている。ここに書かれた「あなた」は、今を生きるすべての人だ。西さんの闘病記ではなく、病気の治療を経て感じた「幸せとは何か」を伝えるメッセージだからだ。

FRaUwebでは、西さんにロングインタビュー。1回目は乳がんを告知され、抗ガン治療中にコロナ陽性にもなった西さんがこの本を執筆した経緯を伺った。2回目は乳房全摘手術を前に考えた「自分の身体」への意識の変化をお伝えしている。そして第3回は、カナダで治療を受けてわかった日本の医療との違い、そしてカナダで治療したからこそ得たものを伺っていく。

実際、『くもをさがす』の冒頭読み進めながら、こう思う人もいるかもしれない。
「なぜカナダではなく日本に帰国して治療しなかったんだろう」

世界経済フォーラムが毎年発表している「ジェンダーギャップ指数」レポート(ジェンダー格差を可視化した数値)によると、日本はジェンダーギャップ指数は146カ国中116位と低いが、医療分野は63位だ。性別の関係なく高度な医療を受けることのできる国として証明されているということになる。

がんという繊細な治療だからこそ、「高度で丁寧」と言われ、かつきちんと日本語で意思の疎通ができる日本の医療を受けたほうが良いのではないか。そう思う人がいても不思議ではない。
もちろん西さんもそう考えたこともあるという。コロナのパンデミックで帰国もままならなかった中、カナダでの治療を選ぶこととなった西さんが感じたことは。

撮影/大坪尚人
 

「くも」が教えてくれた奇跡

住み慣れた日本でさえ、乳がんに罹患し治療するのは大変なことだ。それが、日本語が通じず医療体制も異なる海外。困難の連続のなか、西さんは自身の「情けなさ」「惨めさ」を痛感することになった。

乳がんと宣告される前からカナダに行った時点で情けなさは感じていました。日本にいると、直木賞を受賞したことがある作家で、狭い世界の中ではそこそこ知られていて、年齢も重ねていたし、努力すれば大概のことはなんとかなっていた。徹底的に惨めなことはなかったんです。それがカナダに行ってみたら、“直木賞?知らんがな”ですし、小説家ですといったところで本自体が翻訳されてないからカナダの人々は読めないし。武器がまったくないという状態。乳がんの治療は、そんな無防備な状態の究極でしたね」

2019年から留学のために家族でカナダに滞在した 写真提供/西加奈子

『くもをさがす』にその経緯は詳しく書かれているが、西さんはシャワーを浴びているときに右の胸に「しこり」を見つけていたものの、半年ほど後の2021年秋に一時帰国するつもりだったため、日本で人間ドックに行くつもりだった。

背景には日本とカナダの医療制度の違いがある。カナダでは「ファミリードクター」と言われる総合医がいて、何かあればまずはファミリードクターに診てもらい、皮膚科や婦人科などの専門医への紹介状を書いてもらって予約を取る。西さんには当時ファミリードクターがおらず、誰でも受け入れている「ウォークインクリニック」で診察を受け、紹介状を書いてもらわなければ専門医の予約を取ることができなかった。

しかも2021年5月のカナダ・バンクーバーは新型コロナの感染者数が最悪の状況で、ウォークインクリニックのなかには対面での診療ができないところが多くあった。電話での診療は英語力に自信がなく、病院に行く気になれなかったのだった。

「それが耐え難いほどの痒みの大量の発疹が出て、友人にベッドバグ(南京虫)じゃない?と言われたんです。南京虫が家に現れたらシーツもソファもカーテンも、あらゆる布製のものをクリーニングに出さなければならず、大変だ!ということで重い腰を上げウォークインクリニックに電話しました。それがなければカナダで病院には行かなかったと思います。ウォークインクリニックで南京虫じゃなくて蜘蛛だろうと言われ、“蜘蛛”と言われた衝撃で胸のしこりのことも相談でき、超音波検査の紹介状をもらうことができました」

もし南京虫なら、ベッド周りや布製のクリーニングをしなければ! そんな思いで行きづらかったウォークインクリニックに連絡をした。写真は自宅での飼い猫のエキ 写真提供/西加奈子