人類の「歴史叙述」の源流は三つしかない。古代ギリシアと、あとの二つとは?
『歴史学の始まり』を読む二人の天才歴史家の実像を描いた『歴史学の始まり ヘロドトスとトゥキュディデス』(桜井万里子著、講談社学術文庫)は、古代ギリシアでの「歴史学誕生のドラマ」を鮮やかに蘇らせてくれる一冊だ。しかし、古代ギリシア史が専門の橋場弦氏によれば、「歴史を記述する」という営みは、世界のあらゆる地域に普遍的にみられるわけではないという。古代ギリシアでこそ生まれた「歴史叙述」の特殊性を、日本や中国、インド、ユダヤと比較しつつ、橋場氏が解説する。
人間だけが、「歴史」から未来を考える
人間は過去を背負う動物である。人間以外の生き物は、歴史を知ることができない。人間だけが、歴史というものを意識することができる。
過去を振り返り、未来に希望を持ったり不安を感じたりすることは、人間のみに許された特権であると同時に、逃れられぬ業(ごう)でもある。人間は、過去にひどい目に遭った恨みを容易には忘れないし、また将来への不安に押しつぶされそうになると、それを少数派への憎悪にすり替えたりもする。それに比べると、現在の瞬間だけを生き、死ぬ時もじたばたせず、当たり前のように最期を迎える犬猫の生き方が、うらやましく思われることさえある。
未来は、過去と合わせ鏡の関係にある。「過去にこういうことが起きたから、将来も起こるかもしれない」とか、「過去にこういうことがなかったからと言って、将来もないとは限らない」という形で、人は未来をさまざまに思い描く。過去の世界と全く無縁な純粋未来というものを、人間は想像することができない。
だから、どんな人間でも過去の世界と向き合って生きてゆかざるをえない。ふだん歴史などに全然無関心な人でさえ、そうなのだ。歴史を知ることは、現在を生きる営みと、それほど深い関わりを持っている。
桜井万里子『歴史学の始まり ヘロドトスとトゥキュディデス』(講談社学術文庫。旧版は『ヘロドトスとトゥキュディデス 歴史学の始まり』山川出版社、2006年)は、歴史を探究し叙述するという知的な営みを、人類がどのように手に入れたのかという問いに、2500年前のギリシア文明にさかのぼって答えてくれる。得がたい良書の復刊を、まずは慶びたい。