2023.05.07

村上春樹は、ほんとうに「デタッチメントの作家」だったのか? 一人の批評家が見出した「意外な村上像」

「中国の描き方」から見えること

村上春樹さんの新刊『街とその不確かな壁』が好評をはくしています。もう二度、三度繰り返し読んだという方も、いらっしゃるかもしれません。

ところで、村上さんといえば——とくにその初期の作品を引き合いに出して——「デタッチメントの作家」と評されることがしばしばあります。すなわち、社会的な出来事とは距離を置き、静かで瀟洒な人々の営みをスタイリッシュに描く作家……という評価を与えられがちだったということです。

しかし、そうした一般的な評価とは違う「意外な村上像」を描く専門家もいます。

たとえば、村上さんの作品を長きにわたって論じてきた批評家の加藤典洋さんは、『村上春樹の世界』という著作の中で、村上さんの作品の「中国の描き方」を例に出しつつ、彼が——その初期の作品の段階からすでに——けっして「デタッチメントの作家」ではなかった……と評しています。

加藤さんは、村上さんの短編第一作「中国行きのスロウ・ボート」(1980年)を批評しつつ、村上さんの姿を以下のように描きます。『村上春樹の世界』から引用します(読みやすさのため、改行の位置を編集しています)。

〈……結論だけいうと、それは、村上春樹がプリミティブな、といってよいほど、何か原初的な形で中国に対して罪責感ないし良心の呵責ということを強く感じていた、ということです。僕は村上春樹と大体同じぐらいの年齢ですが、その年代は、戦後民主主義の教育を小学校、中学校と受けてきた最後の世代にあたっています。

中学校とか小学校で習った先生が、安保反対とか勤評反対——文部省が始めた勤務評定に反対する——のデモをやっているのを、ああ、先生がデモをやっている、というふうにみた覚えがあります。そういう時代状況の中で育ってきていて、戦後民主主義に対する愛憎は思われている以上に相当深いのですが、そういう僕からすると、こう見える。〉

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