コロナ禍でいっそう深まった、新自由主義の思想が社会にもたらした排外主義や格差問題。『鬼滅の刃』『約束のネバーランド』など大ヒット漫画や、芥川賞を受賞した高瀬隼子さんの『おいしいごはんが食べられますように』を通じて、〈弱者〉と〈強者〉の物語を読み解きます。『ケアの倫理とエンパワメント』で知られる英文学者の小川公代さん『ケアする惑星』第8章「ダーウィニズムとケア1 『約束のネバーランド』と高瀬隼子作品」を再編集してお届けします。
〈弱者〉と〈強者〉の物語
ここ数年で、新自由主義の思想が社会にもたらした排外主義や格差の問題が、コロナ禍の中でよりいっそう深まっている。そして、その闘争で置き去りにされてしまう弱者たちの逆境を寓意的に描く物語が広く読まれているように思う。しかも、〈強者〉が力ですべてを征服する、あるいは反対に、〈弱者〉が〈強者〉を敗北させるというわかりやすい構図で成り立つ物語ではない。
たとえば、漫画『約束のネバーランド』(白井カイウ原作、出水ぽすか作画)(アニメ版もある)などは、複雑な認知レベルが要求される物語だが、読者の感情に深く作用する優れた作品である。
その新しさは、〈誰が生き残れるのか〉という社会ダーウィニズムの"進化論"的な問いではなく、〈みなが共に生きていくにはどうすればよいか〉という"ケア"をめぐる問いを孕み、他者のクオリアに到達する点にみいだされる。
クオリアとは、「我々の意識にのぼってくる感覚意識やそれにともなう経験のこと」であるが(*1)、主観や当事者の意識と言い換えることもできよう。当事者が感じていることを別の人間/生物が感じるのはそう容易いことではない。
本章では、〈弱者〉と〈強者〉の関係を描いたさまざまな物語を進化論とケアの視点から考察する。鬼の食肉として育てられる人間が「農園」を脱走して生き延びようとするサバイバル・ストーリー『約束のネバーランド』と、女性が日本社会で生き延びるために払う犠牲が生々しく語られる高瀬隼子の芥川賞受賞作、『おいしいごはんが食べられますように』を中心に取り上げたい。