『鬼滅の刃』の鬼たちの「弱さ」とは?私たちが直面する「助け合う能力」を失った世界

『鬼滅の刃』の鬼たちは強くて弱かった?芥川賞受賞作『おいしいごはんが食べられますように』に出てくる「“隠れ”弱者」の女性とは?『ケアの倫理とエンパワメント』で知られる英文学者の小川公代さん『ケアする惑星』第8章「ダーウィニズムとケア1『約束のネバーランド』と高瀬隼子作品」を再編集してお届けします。「【前篇】『鬼滅の刃』『約束のネバーランド』から読み解く「ケア」をめぐる問いと他者への共感」「【中篇】『約束のネバーランド』が描く「特権性」のリアル。エマとレウウィスに共通する驚異的な「才能」とは?」からつづけてお読みください。
小川公代『ケアする惑星』小川公代『ケアする惑星』

『鬼滅の刃』の〈アライ〉たち

鬼が人間を捕食する物語『鬼滅の刃』でも、弱者を見捨てない〈アライ〉たち、つまり主人公の竈門炭治郎や鬼になった妹の禰豆子、そして鬼殺隊の仲間が活躍する。(以下、『鬼滅の刃』の内容に踏み込んだ記述があるため、未読の方は注意してお読みください。)

鬼を倒す鬼殺隊の一員として戦いながら、その鬼たちにさえ共感する炭治郎は、『約束のネバーランド』の鬼のムジカたちを殺さない道を模索するエマを彷彿とさせる。

『鬼滅の刃』が「【中篇】『約束のネバーランド』が描く「特権性」のリアル。エマとレウウィスに共通する驚異的な「才能」とは?」で論じた『約束のネバーランド』の鬼たちと異なるのは、生まれたときから圧倒的な〈強者〉であったわけではない点だ。禰豆子の例からもわかるように、鬼になる者はかつて人間であった。強い鬼として描かれる猗窩座というキャラクターもそうだ。

吾峠呼世晴『鬼滅の刃』吾峠呼世晴『鬼滅の刃』

猗窩座といえば、「無限列車編」(第8巻)で炎柱・煉獄杏寿郎との死闘を繰り広げた強い(上級の)鬼として有名であるが、杏寿郎の命を奪った悪漢として記憶に残っている人も多いだろう。

しかし、第18巻で明かされる人間だった頃の彼、つまり狛治の過去が「内」から語られ、読者に彼のクオリアが共有される。鬼の猗窩座が「強さ」に異常な執念を燃やす背景には、彼がまだ狛治と呼ばれていた人間であったころ、貧困によって犯罪に追い込まれてしまうという社会構造があった。

狛治は病気知らずの健全な身体を備えているが、病に臥せる父親のために持ち帰る薬を買う金がない。そして、盗みを働く。そのために、狛治はつかまって重い刑罰に処せられ、肉を裂かれたり、骨を折られたりするのだが、父親のためなら何百年も耐えられると言う。

彼のこのような精神のことを、植朗子は「優しい狂気」と呼んでいる。強い鬼ほど、人間を食らうようになる前は、強さが救いという強迫観念に取り憑かれるほどに弱いのだ(*1)。そう考えると、弱者と強者の境界線は思ったほど明確ではないのかもしれない。

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