Nは東大を辞めた。それから10年が経って
保阪正康『Nの廻廊』をよむ その3昭和史研究の第一人者であるノンフィクション作家の保阪正康さんの新刊『Nの廻廊』が各紙誌で話題だ。Nとは5年前に自裁した思想家・西部邁さんのこと。保阪さんと西部さんは中学生のとき、札幌郊外から市内まで汽車と路面電車でともに越境通学する間柄だった。30年を経て再会し、交流を深めるふたり。だが、西部さんは東大教授を辞任する。そして10年、友の挙動に保阪さんは若干の危惧を抱く……。
(全5回のその3。本記事は『Nの廻廊』の一部を抜粋、Web用として独自に再編集したものです)
もう耐えられないんだ
夜の10時を過ぎて間もなくのころであったか、Nから電話があった。
私にとってもNにとっても、夜の10時や11時の電話というのはそれほど常識はずれではなかった。むしろ夜遅いほうが元気で、頭も冴えている状態である。

Nは近況を伝えあった後に、不意に、
「明日の新聞を見て驚かないでくれ。僕は東大を辞めるよ」
といくぶん興奮した口調で語った。
私は最初、Nがさしたる理由もなく辞めるのかな、と受け止めた。あるいはなにか不愉快なことがあり、一時的な感情で辞表を出したのかとも疑った。
どういう会話を交わしたか、いまもその内容を覚えているのだが、Nの声はけっして落ちこんではいなかった。むしろいつものように、なにかゲームを楽しむような口調で辞職の理由を語るのだった。
私は、月並みな表現になるけれど、と前置きして、
「東大教授として、のんびり生きていけばいいじゃないですか」
と世間の常識を口にした。
「バカ相手に生きていけっていうの? もう耐えられないんだ」
「でもNさん、世間なんか、それよりももっとバカですよ」
「バカの度合いが違うんだよ! 世のなかには耐えられるバカと耐えられないバカがいるじゃないのっ」
「う〜ん、たしかにそうだ……」
そんなやりとりのなかで、ようやく私にはNの怒りが限界に来ていることがわかった。