2023.05.24
# いじめ
# 学校生活
なぜ日本の学校から「いじめ」がなくならないのか…たった2つの「シンプルかつ納得の理由」
最近、また「いじめ」が大きなニュースとなっている。なぜいまだに根本的な解決にいたっていないのだろうか。
いじめは1980年代なかば以降、人びとの関心をひく社会問題になったが、いじめ対策は効果をあげていない。
それは、学校に関する異常な「あたりまえ」の感覚が一般大衆に根強く浸透してしまっているからである。マス・メディアや政府、地方公共団体、学校関係者、教育委員会(教委)、教育学者や評論家や芸能人たちがでたらめな現状認識と対策をまき散らし、一般大衆がそれを信じ込んでしまうためでもある。
私たちが学校に関して「あたりまえ」と思っていることが、市民社会のあたりまえの良識を破壊してしまう。この学校の「あたりまえ」が、いじめを蔓延させ、エスカレートさせる環境要因となっているのだ。
(※本稿は現代ビジネス編『日本の死角』を一部再編集の上、紹介しています)
きわめてシンプルな「いじめ対策」
いじめを蔓延させる要因は、きわめて単純で簡単だ。
一言でいえば、
(1)市民社会のまっとうな秩序から遮断した閉鎖空間に閉じこめ、
(2)逃げることができず、ちょうどよい具合に対人距離を調整できないようにして、強制的にベタベタさせる生活環境が、いじめを蔓延させ、エスカレートさせる。
(2)逃げることができず、ちょうどよい具合に対人距離を調整できないようにして、強制的にベタベタさせる生活環境が、いじめを蔓延させ、エスカレートさせる。
対策は、次のこと以外にはまったくありえない。
すなわち、
(1)学校独自の反市民的な「学校らしい」秩序を許さず、学校を市民社会のまっとうな秩序で運営させる。
(2)閉鎖空間に閉じこめて強制的にベタベタさせることをせず、ひとりひとりが対人距離を自由に調節できるようにする。
(2)閉鎖空間に閉じこめて強制的にベタベタさせることをせず、ひとりひとりが対人距離を自由に調節できるようにする。
まず、本稿執筆時に注目を浴びたいじめ報道を手がかりに、私たちが学校という存在をいかに偏った認識枠組で見ているかを浮き彫りにしていこう。