餃子、ラーメン、しゃぶしゃぶ、愛犬生活も。遊牧民の文化が、〈中華〉を変えた!
〈鮮卑拓跋〉と現代中国現在につながる〈中華風の文化〉の多くは、中国の三国時代と隋唐王朝に挟まれた〈大分裂時代〉に誕生していた。それまで中華の中心だった漢族の文化と、北方の騎馬遊牧民の文化が融合して拡大し、〈新たな中華〉が誕生したのだ。その主役を演じた鮮卑拓跋部の興亡を描いた『中華を生んだ遊牧民 鮮卑拓跋の歴史』(松下憲一著、講談社選書メチエ)から〈変貌した中華〉を紹介する。
中華料理の定番は遊牧民から
「現在の中国で、私たちがもっとも遊牧民の影響を感じることができるのは、やはり食文化でしょう。特に羊肉と、小麦の粉食は、遊牧社会からもたらされたものが多いのです。羊肉では、北京ではしゃぶしゃぶの名店が知られていますが、ほかにも串焼きやジンギスカンのような食べ方など、さまざまなメニューがありますね」と『中華を生んだ遊牧民』の著者で愛知学院大学教授の松下憲一氏はいう。

小麦の栽培は、華北地方では三国時代以前の漢代から本格化しており、諸葛孔明が肉まんを創ったという伝説もあるが、粉食が爆発的に広がって種類が豊富になったのは魏晋南北朝から隋唐にかけての時代だった。
〈小麦をひいて、水と一緒にこねて、まとめる。それをしばらく寝かしてから、細くのばせば麺になる。拉麺の拉とはのばすという意味。削ってもいい。刀削麺(とうしょうめん)である。また薄くのばして肉を包めば、包子(バオズ)、餃子(ジャオズ)。なにも入れずに蒸せば饅頭(マントウ)。さらに薄くのばしたものを窯で焼けば芝麻餅(ジーマービン)、粉を水にとかして鉄板の上で薄くのばして焼けば餤(たん=クレープ)。そのうえに具材をのせて包むと庶民の朝ごはん煎餅(チェンビン)。といったように、バリエーションの豊富さが小麦の粉食の広がりを支えた。〉(『中華を生んだ遊牧民』p.229)
隋の煬帝(ようだい)の宮廷料理長が書き残した『食経』という文献には、53種類の料理が記されているが、ここでも「餅(ピン)」の種類が多い。もちろん、日本人が食べるような米を搗いた餅(もち)ではなく、主に小麦を挽いた粉をこねたものだ。さらに加乳腐(チーズか?)や酥(バター)など乳製品も目立つ。