「戦前」とは何だったのか。
神武天皇、教育勅語、万世一系、八紘一宇……。右派も左派も誤解している「戦前日本」の本当の姿とは何なのか。
本記事では、明治維新で都合よく利用された神武天皇の具体的イメージが必要になり、つくりあげられていく様子をくわしくみていく。
※本記事は辻田真佐憲『「戦前」の正体 愛国と神話の日本近現代史』から抜粋・編集したものです。
「神武天皇と今上陛下は御一体」
神武天皇の存在感が高まると、挿絵などで具体的なイメージが求められるようになった。
現在、神武天皇というと、どのような姿を想像するだろうか。試しにグーグルでイメージ検索してみると、その特徴はおおよそつぎのとおりとなる。
長い髪を左右に分け、両耳のところで束ね(みずら)、首元には勾玉のネックレス。顔つきは凛々しく、豊かな口髭と顎髭を蓄える。白くゆったりとした上着は腰もとの帯で締められ、袴も膝下あたりで上から紐でくくられている。そして腰に太刀を佩(は)き、背中に矢筒(靭(ゆぎ))を背負い、片手には長い弓。そして弓の先には金鵄が輝いている。

当時のイメージもここから大きく離れるわけではない。『日本教科書大系』で明治期の歴史教科書をみてみると、大きく違うのは頭部ぐらい。顔が平安絵巻のような引目鉤鼻だったり、髪型が長髪もしくは髷だったりする。ただどれも鮮明とはいいがたく、細かい分析には向かない(図1)(※外部配信でお読みの方は現代新書の本サイトでご覧ください)。