「君死にたまふことなかれ」の与謝野晶子が愛した男と、死別の歌に込められた想い
近代日本最大の歌人の一人でフェミニストの与謝野晶子は、歌集『みだれ髪』で女性の官能や肉体美などをうたい、浪漫派の中心となった。日露戦争時に、戦地の弟を詠んだ『君死にたまふことなかれ』はあまりにも有名だ。また彼女の訳した『源氏物語』は名訳として読まれている(森鴎外と上田敏の序文つき)。
他方で彼女は、私生活では歌人の鉄幹と結婚し、子供を12人生んだ。家計を支えるために原稿を書き連ね、多数の評論を残し、学校の創設にも加わっている。しかし、一時は時代の寵児となった晶子の人気も、後年になると一気に衰え、夫の鉄幹も亡くなった。
彼女がもっとも愛した夫を想い、詠んだ歌とはどのようなものか。日本を代表する歌人・前川佐美雄が紹介する(以下は、『秀歌十二月』から引用する)。
普通人になれなかった歌人
君がある西の方よりしみじみと憐れむごとく夕日さす時
(歌集・白桜集)与謝野晶子
夫寛(ひろし)(鉄幹)に死別して、あとにのこった晶子のある日の述懐である。西の方はむろん西方浄土で、そこに亡き夫がいる。そこからひとりとなった自分をあわれむように夕日が射すというので、普通人と同じ悲しみをしている。それでよいのだし、それだから心にしみわたる。そのいうように「しみじみ」として、そうして作者を「憐れ」に思うのである。
昔の晶子なら「憐れ」など思われたくなかっただろうし、またこうしたしおらしい歌は作らなかったはずだ。「普通人と同じ」などといわれたらさぞ腹を立てたことだろうが、年老い、夫を亡くしてようやく思い知ったのか。
そんなことはないのである。何もかも知っていた人である。知ってはいても普通人にはなれなかった。世間がさせてくれなかったのだ。天才の悲劇とでもいうのであろうか。たとえその歌がどんなにつまらないにしても、一世紀に一人出るか出ないかの大歌人なのだ。それは一歌壇内のことではない。天下の晶子としてその人気は圧倒的だった。これらのことは佐藤春夫が『晶子曼陀羅』でつぶさにまたおもしろく書いている。