※ナルコスとは――「感覚を失わせる」という意味のギリシャ語のナルコン「narkoun」に由来する英語「narcotics」から派生したスラングで、海外ではドラッグとともに麻薬を意味するものとして認知されている。
大阪だけで454団体のヤクザがいた
覚醒剤マーケットの拡大によって乱立したのがヤクザ組織と密売所であった。私がマトリとして厚生省近畿地区麻薬取締官事務所(現・厚労省近畿厚生局麻薬取締部)に配属されたのはちょうどこのころだった。

組織を支える資金源は覚醒剤に限らず、まさに多種多様。用心棒、ノミ行為、債権取り立て、金融業、遊技機リース、不動産仲介、賭博、飲食業、地上げ、売春、会社ゴロ、運送業、港湾業務、物品販売、労務者手配、土建業、建設業、右翼活動、えせ右翼活動、ブルーフィルム(ポルノ映画)販売、芸能興行、ストリップ興行、産廃・清掃業。金になれば合法・非合法を問わず行うのがヤクザの領分である以上、枚挙にいとまはない。
当時の大阪・兵庫では大きな代紋看板を掲げた暴力団事務所が所せましと並び、シノギを削り合っていた。マトリ時代の私の調査・勉強ノートには山口組系組織を中心に大小454の団体名が並んでいる。この組織数は大阪だけの数字である。
特に西成は、この場所だけで組数が56団体にのぼる。もはやすし詰め状態と言ってもいい。ちなみにミナミのある南区(現・中央区)、浪速区、天王寺区、阿倍野区を入れると組織の数は100程度。このうち西成が半数を占める計算となる。当然、西成は私の捜査フィールドとなった。以下、私の記憶とメモを元に西成の主だった組織をいくつか羅列する。メモは1980年に初版を作成したもので、組名、当時の組長名、傘下組織という順になる。
無論、すべての組がシャブの売買を行っていたわけではないが、このように西成では直系組織の溝橋組を筆頭にした山口組や博徒として知られる酒梅組以外にも松田連合、大日本正義団など独立組織も集まり、熾烈な縄張り争いを繰り広げていた。西成がいかに群雄割拠だったのか。それを象徴するような出来事を紹介したい。