「ヤクザはラスト・サムライなのか」山口組ハワイ事件から見る、海外の捜査官を困惑させる“ヤクザ”の存在
ナルコスの戦後史 ドラッグが繋ぐ金と暴力の世界地図(3)※ナルコスとは――「感覚を失わせる」という意味のギリシャ語のナルコン「narkoun」に由来する英語「narcotics」から派生したスラングで、海外ではドラッグとともに麻薬を意味するものとして認知されている。
前編記事:<伝説のマトリ「麻薬取締官」が明かす、密売所の潜入捜査で“同業者”に間違えられ「おんどれ、どこのモンじゃコラッ!」>
ハワイでロケット砲を入手しようとする
変わって1980年代は山口組にとって激動の時代だった。
1981年には田岡一雄組長が亡くなり、4ヵ月後には山口組から絶縁処分を受けていた元若頭補佐の菅谷政雄(ボンノ)、さらには四代目襲名を有力視されていた山本健一若頭も死去。1984年には竹中正久が山口組四代目を受諾。これに異議を唱えた反対派が一和会を結成し、山一抗争が勃発する。翌年には四代目となった竹中組長が一和会に狙撃され、死亡する。その搬送現場に遭遇したことはすでに述べた。この事件をきっかけに抗争はさらに激化の一途を辿る。日本のヤクザ史において史上最悪と言われた抗争の事件数は317件を数え、死者数は29人。負傷者は警察官や一般人を含めれば70人にものぼった。

竹中組長が射殺された1985年には実弟の竹中正ら山口組幹部が一和会への報復のためにロケット砲や機関銃の密輸を計画。麻薬不正取引なども含めた容疑でDEAに逮捕される「山口組ハワイ事件」が発生する。抗争の火は海を渡り、アメリカにまで波及したのである。
DEAはアメリカ麻薬取締局の通称で、正式名称はDrug Enforcement Administration。日本で言う麻薬取締部と規模こそ親子以上の差はあるものの似通った組織と言っていい。DEAは世界60ヵ国で絶えず情報収集を行い、大型の国際薬物犯罪組織に対しては5年、10年というスパンをかけて捜査にあたっている。情報の漏洩を防ぐため、徹底的な秘密主義で動くのもDEAの特徴の一つだ。
かねてからマトリはDEAやNCIS(Naval Criminal Investigative Service=米海軍犯罪捜査局)等の海外捜査機関と密に連携を取り、麻薬捜査に力を注いでいた。私自身もDEAやNCISで長期にわたって学び、本部やアカデミーで訓練を受けていた。
一方で、海外の捜査機関は日本のヤクザに強い関心を持つようになっており、私もよく各国の捜査官たちへの説明に追われた。麻薬の情報交換をする際も常に彼らの頭の片隅にあるのはヤクザという存在だった。