「大塚家具」お家騒動の「その後」の顛末をご存知ですか…分かれる父娘の明暗、赤字続きの久美子氏にヤマダ電機山田昇が手を差し伸べた理由
創業一族が経営権をめぐって繰り広げる骨肉の争い……企業の世襲を巡るこうした争いには、経済合理性と背反するような一族の愛憎が入り乱れている。「ロッテ」「セイコー」「ソニー」など日本を代表する大企業の、けして普遍化できぬ「争族」の物語を丹念に追った高橋篤史氏の『亀裂 創業家の悲劇』から、一時ワイドショーを賑わせた「大塚家具」の「争族」の知られざる行方を紹介する。
叩き上げで現場に出て、荒っぽい才覚ひとつで商売を成功させてきた父・勝久と、一橋大学で経営を学び、当時は珍しかった女性総合職として富士銀行に入行した経歴を持つ娘・久美子氏のビジネス観には大きな齟齬があり、両者は対立を深めていた。
前代未聞の親子喧嘩
いまや娘に追われる身となった父・勝久は長男・勝之とともに社外に出て捲土重来を期すこととなる。翌29日、自身ら10人の役員選任を求める株主提案を行ったのだ。筆頭株主である勝久の持ち株比率は18%に上っていた。対して、久美子が根城とするききょう企画は10%に満たない。勝算は十分にあると踏んだのだろう。
2週間後、体制固めを急ぐ久美子はそれに対抗して勝久・勝之を除く会社提案を公表する。プロキシファイト(委任状争奪戦)を有利に運ぶため久美子がとったのは株主還元の強化策だった。年間配当を2倍の80円に引き上げるとしたのだ。これに対し勝久側は120円を提示、プロキシファイトはさながらバナナの叩き売りを思わせる大盤振る舞いの様相を呈した。
もはやこの前代未聞の親子喧嘩は公然たる事実となり、新聞・雑誌はおろかテレビのワイドショーまで加わり、世間ではこれでもかというほどに囃し立てられた。「家具や姫」なる愛称まで奉られた久美子はちょっとした茶の間のヒロインとなった。そんな通常の企業社会からは遊離した別種の喧騒のなか、大塚家具の株主総会は東京・有明の本社で3月27日に開催された。軍配が上がったのは久美子のほうだった。会社側提案はすべて可決され、対する勝久の株主提案は結局、4割弱の賛成しか集められず退けられた。
この後、勝久は自らが興した会社から完全に離れ、8月には持ち株も処分し始めた。閉館した西武百貨店春日部店の跡に長男・勝之とともに新店舗「匠大塚」を開業したのは翌年6月のことだ。

創業者がいなくなった大塚家具で久美子を支えたのは、妹・智子の夫である佐野春生取締役流通本部長)であり、8歳年下の弟・雅之(取締役営業副本部長)だった。良かったのは最初だけだ。「大感謝フェア」と銘打った「お詫びセール」を始めると、興味本位の客は喜んで足を運んでくれた。それでも新体制1年目となる2015年12月期に大塚家具が確保できた営業利益はわずか4億円に過ぎない。一方でプロキシファイトを有利に進めるため公約していた増配は実現しなければならない。年間配当80円に必要な原資は約15億円だから内部留保を取り崩さなければならなかった。
会員制をやめ敷居の低い店舗に変えたものの、誰もが買える手頃な価格帯の家具を取り揃える商品開発力には欠けているため、大塚家具の売上高はその後、激減した。それは広告宣伝費の圧縮効果など押し流してしまうような止めどもない減少ぶりだった。貸し会議室経営のティーケーピーと資本業務提携を結んだが、そんなものは焼け石に水である。理屈や理論とは異なる商売の神髄は久美子にとって霞のように掴もうにも掴めない代物だった。
2016年12月期、大塚家具の最終赤字は45億円もの巨額に上った。それでも株主に公約した年80円配は維持しなければならない。またもや15億円の流出である。2017年12月期、最終赤字は72億円へとさらに拡大した。年40円へと減配したものの、それでも8億円近い社外流出はこの状況では痛い。この頃になると、取引銀行の見る目は厳しくなっていた。2018年1月初旬、大塚家具は日本政策投資銀行によって動産譲渡登記を打たれている。商品在庫を担保に差し出さなければならない土俵際だ。その年12月期、最終赤字は32億円に縮小したものの、かつて100億円以上あった現預金は31億円にまで減ってしまっていた。潤沢な蓄えであった投資有価証券も三井不動産など優良銘柄を次々と現金化したため、たったの5億円と、ほとんど尽きようとしていた。資金ショートは間近に迫っていた。