「金の亡者」の転落劇…パチスロ界のドン・岡田和生が唯一手に入れられなかったモノ…「息子の反逆」から見える創業家一族の「致命的欠陥」

かつて日本の長者番付にも名を馳せたパチスロの帝王・岡田和生の命運は、意外にも呆気なく尽きた。2017年5月23日火曜日。ユニバーサルエンターテインメント有明本社ビルで行われた臨時取締役会では、和生の執行権の一時停止が採決された。

「今日戦争が始まりました」社費の私的流用や愛人の役員登用。横暴の限りを尽くした暴君を討ち取ったのは、血を分けた実の息子・知祐であった。

如何にして息子は父親を憎むようになったのか。一代にして富を築いた男は何故、家族からの愛を勝ち得ることが出来なかったのだろうか。そこには、金に群がる「ハイエナ」達と煌びやかな世界への誘惑があった。

本記事では『亀裂 創業家の悲劇』より、岡田親子、訣別の裏側を取り上げる。

『亀裂 創業家の悲劇』(高橋篤史)

交錯する岡田親子の思惑

同じ頃、そこから北西に7キロほど離れた東京駅近くでは岡田の長男、知裕が妹の裕実が現れるのをじりじりと待っていた。午後2時頃、2人は無事落ち合うと車で銀座公証役場に向かった。3月にいったん署名押印を済ませていたオカダ・ホールディングス株に関する「株式管理処分信託契約書」を作り直し、あらためて公正証書を作成するためだ。

オカダ・ホールディングスの筆頭株主は和生であり、その保有割合は46.4%に上った。これに対し知裕はわずかに下回る43.5%。ただ、裕実が持つ9.8%を加えれば、過半数となる。公正証書は裕実が保有株の管理処分権を知裕に対し30年間にわたって委託する契約を法的に確認するもので、それによって知裕はオカダ・ホールディングスの支配権を父・和生から奪い取ることができた。

つまり、絶対権力者を狼狽させた突然の役員変更登記を極秘のうちに画策したのはその子、知裕だったのである。この日の臨時取締役会におけるクーデター劇と、知裕が仕掛けた追放劇は水面下で相呼応したものだった。

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知裕が父親の排除に向け秘密裏に弁護士と協議を始めたのは前年半ば頃だったとされる。じつのところ、傍目には一体と見えることが多かった父子だが、その関係は長年疎遠になっていた。

和生が知裕を将来の後継者に考えていたことは間違いない。だからこそ、オカダ・ホールディングス株も持たせていた。知裕は1991年に当時はユニバーサル販売と名乗っていた父親の会社に入社、しばらくは住友銀行への出向を命じられていた。ユニバーサル販売に復帰したのは4年後。取締役に就任し、IR広報室長などを務めることとなる。会社の本業であるパチスロ機より、知裕はむしろカジノマシンに関する知識が豊富だったという。

父・和生は1984年、アメリカに別途設立した関連会社を通じ、カジノの本場、ラスベガスを管轄するネバダ州の当局からスロットマシンの製造販売に関するライセンスを取得、それまでの機械式にかわるパルスモーター式を武器に米バリー社の牙城を崩してパチスロに次ぐ柱を打ち立てていた。

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