死の間際まで可能な限り元気に生きたいと思うのは万人に共通する願いでしょう。しかし、死因の1位であるがんをはじめ、完治が難しい病が存在するのもまた事実です。
医療は病気を治すだけではありません。治療に伴う苦痛を和らげ、患者の生活の質向上を図る医療も発達してきています。それが「緩和ケア」です。終末期医療のイメージが強い緩和ケアですが、緩和医療医の第一人者である大津秀一氏は終末期ではない患者にこそ受診してほしいと言います。
早期の緩和ケアはどのように治療のつらさを和らげてくれるのか。『幸せに死ぬために 人生を豊かにする「早期緩和ケア」』から、60代の乳がん患者の事例と共に紹介します。
緩和ケアとうつ病
60代女性で乳がんの患者さんだった鈴木さん(仮称)は、抗がん剤治療の吐き気が強いとのことで、乳腺科の主治医から紹介されました。
確かに吐き気はずっと続いているとのことでした。ただ、しっかり話を聞くと、この症状が続いているため次第に気持ちもうつうつとし、何も楽しめなくなり、不眠や食欲不振、体重減少など、様々な苦痛があわせて出ているとのことでした。
このような苦しさを訴えながら、鈴木さんは「自分はだめな人間なんだ」「こんなつらくて……もう死んだほうがいい」「生きている意味がない。早く楽にしてください」などと、とめどなく涙を流されました。
一緒に来られたご主人にも話を聞きました。すると彼女が元気だったころとは別人のように、能面のような顔になり、いつも暗鬱な様子でネガティブなことを口にしているとのことでした。こう話すご主人も、彼女の変化に戸惑いを感じているようでした。刺さるような言葉を投げかけてくることもある鈴木さんとご主人は、言い争うこともあったようです。

診察とこれらの情報をもとに、私は鈴木さんがうつ病になっていると診断しました。確かにがんになった人はしばしばうつ病になります。そしてその治療で改善します。
「もう一切薬は飲みたくない」という鈴木さんの要請とすり合わせ、うつ病の薬1錠と、吐き気止めの薬2種類を1錠ずつ、合計3錠の服用を何とか約束してもらい、処方しました。
この診察から2週間がたって、鈴木さんは前回より少し明るい表情で外来に来られ、「吐き気が治まった」とのことでした。継続する吐き気には適切な薬剤があるので、その制御がうまくいきました。1ヵ月がたつと、さらに元気なご様子でやってこられました。うつうつとした気持ちが少し改善してきたとのことでした。抗がん剤治療も再開ができました。