メキシコカルテルの大ボス・麻薬王の“壮絶な最期”とは

ナルコスの戦後史 ドラッグが繋ぐ金と暴力の世界地図(9)
禁断の世界麻薬マーケットの暗部と、世界の反社がどうつながっているのか? 伝説のマトリだから書ける「人類、欲望の裏面史」、『ナルコスの戦後史 ドラッグが繋ぐ金と暴力の世界地図』より、公開コードギリギリのエピソードをピックアップ!
ナルコスとは――「感覚を失わせる」という意味のギリシャ語のナルコン「narkoun」に由来する英語「narcotics」から派生したスラングで、海外ではドラッグとともに麻薬を意味するものとして認知されている。
前編記事:<「金か銃か」世界に流通する約8割のコカインを支配していた、麻薬王の嘘のような本当の話​

法相暗殺をきっかけに国対カルテルの血で血を洗う抗争

抗争激化の発端は1984年に起きた身柄引き渡し協定を巡るロドリゴ・ララ法務大臣殺害事件だった。

元々、コロンビアは1979年にアメリカと麻薬関連犯罪人の引き渡し協定を締結。これによりコロンビアでは自国の麻薬犯罪人もアメリカへの移送が可能となった。当然、カルテルは自身の影響力が及ばないアメリカでの裁判に猛反発。コロンビアの政治家や官僚たちを金で抱き込み、どうにか協定を形骸化させることで落ち着いていたが、1983年にロドリゴ・ララが法務大臣に就任すると「協定を厳格に適用する」と明言。買収工作にも応じないロドリゴに対し、真っ先に銃口を向けたのがパブロだった。

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1984年4月、旅行中だったロドリゴをメデジン・カルテルのメンバーがバイクで急襲し、射殺。それは麻薬組織だったカルテルが国家を揺るがすテロ集団へと変貌した瞬間でもあった。

ここから国とカルテルによる麻薬抗争は泥沼へとハマっていく。パブロ率いるメデジン・カルテルもまた「力」という形で政府への対決姿勢を明確に示した。ロドリゴ殺害の翌年の1985年、カルテルと結託したゲリラグループが首都ボゴタにある最高裁判所を襲撃。この事件で市民を含めた関係者100名近くが犠牲となった。

一方、政府も国をあげてのカルテル解体を推し進める。

1987年にメデジン・カルテルの運び屋で最高幹部のカルロス・レデルを逮捕し、アメリカへ移送。1989年には同じくメデジン・カルテル最高幹部のロドリゲス・ガチャを特殊部隊が射殺。すると同年、カルテル側も応酬するように大統領候補だったセサル・ガビリアが乗ったとされた航空機を爆破。幸いセサルは搭乗していなかったものの、事件は107人もの死者を出す大惨事となった。

街中では警察署を狙った爆破テロが相次ぎ、コロンビアは大混乱へと陥った。いずれの事件も麻薬撲滅を阻止するためにパブロが主導した事件とされ、この時、彼はコロンビアで最も危険な犯罪者となっていたのである。

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