2023.05.18

「モンスターペアレント」な巨大ヒグマが出現…「朱鞠内湖人喰い熊事件」現場付近で起きた「温根別仔連れ人喰い熊事件」の全貌

北海道では今春、ヒグマの目撃情報が非常に多く、その数はすでに100件を超えたという。室蘭市では、これまでに5件の目撃情報が寄せられ、市は異例の「ヒグマ注意報」を出して警戒を呼び掛けている。

そんな中、幌加内町、朱鞠内湖で14日、男性が行方不明となり、胴長靴をくわえたクマが付近で目撃され、さらに人間の頭部が発見された事件は大きく報道された。

朱鞠内湖は日本最大の人造湖として知られ、幻の魚「イトウ」が生息していることなどから、釣り人に人気があり、カヌーなどのアクティビティを楽しむ観光客も多い。朱鞠内湖畔キャンプ場は、北欧のような風景が楽しめることで人気を集めるが、事件を受けて休業を余儀なくされた。歴史に埋もれた人喰いヒグマ事件をつづった労作『神々の復讐 人喰いヒグマたちの北海道開拓史』の著者が、この地域の数奇な惨劇の歴史を辿る。

昭和三年温根別仔連れ人喰い熊事件

実は朱鞠内湖が位置する幌加内町から士別市、剣淵町に至る一帯は、かつて人喰い熊事件が多発した、道内で最も危険な地域のひとつであった。

特に朱鞠内湖南部の温根別村では、大正から昭和初期にかけて人喰い熊事件が続発した。

昭和三年のこの事件では、三年間で二名が喰い殺され、八名が重軽傷を負い、加害熊は常に子熊を引き連れていたという特徴がある。

事件の端緒は次のようなものであった。

雪の降る二十五日朝八時頃、上川郡剣淵村西八線から温根別村九線へ通じる間道を、上川、菅原の両人が通りかかると、すぐ目前に一婦人が倒れ悲鳴を上げて夢中に救いを求めていた。見ると着衣は流血に染まり、その前に一頭の巨熊が座っていた。(中略)最初熊に傷つけられてから約二十間位、熊に追われつつ逃げた形跡があり、その間は血痕雪に染み、路辺の笹に血潮は飛び散り、頭髪に肉片の付着した着衣布片が付近に散らばり、数個所にややしばらく倒れていた模様であった。後頭部の頭髪及び皮肉はほとんどなく、右手指右背部に大裂傷あり、また臀部上方にも余程の裂傷があり、身体各所は爪穴で出血甚だしく、瀕死状態であった。婦人は温根別村八線、元屯田兵妻、増永イヨ(五一)で、剣淵市街地へ子供の百ヶ日忌のため僧侶を頼みに単身歩行中であった。イヨは七線風防林付近まで担いで行った時に絶命した(『北海タイムス』昭和三年十一月二十九日朝刊)

この事件は地元で長く記憶に止められたようで、次のような証言も残っている。

「小学校五年生の頃だったと思うが、近くの松永(筆者註:増永の過り)のおばさんは、雪の降り始めた頃、温根別市街へ買い物に出かけ急いでいると、道路の曲がり角で突然熊に出会った。おばさんは、とっさに着ていた角巻きを頭からすっぽりと被ってしまった。と同時に熊は一撃を加えようとしたのか?つかむつもりだったのか?角巻きだけすっぽりと抜かれてしまった。熊はそのままちょっと行ったが、からっぽである事に気づいて再び襲いかかり、松永さんは瞬時の事とて逃げる間もなく殺されてしまった(開拓の熊の話 小池千代)」(『けんぶち町・郷土逸話集 埋れ木 第一集』剣淵町教育委員会)

  • 『成熟とともに限りある時を生きる』ドミニック・ローホー
  • 『世界で最初に飢えるのは日本』鈴木宣弘
  • 『志望校選びの参考書』矢野耕平
  • 『魚は数をかぞえられるか』バターワース
  • 『神々の復讐』中山茂大