異例の警戒態勢へ…「朱鞠内湖人喰い熊事件」現場付近で100年前にも「首なし死体事件」が発生していた
北海道では今春、ヒグマの目撃情報が非常に多く、その数はすでに100件を超えたという。室蘭市では、これまでに5件の目撃情報が寄せられ、市は異例の「ヒグマ注意報」を出して警戒を呼び掛けている。
そんな中、幌加内町、朱鞠内湖で14日、男性が行方不明となり、胴長靴をくわえたクマが付近で目撃され、さらに人間の頭部が発見された事件は大きく報道された。
朱鞠内湖は日本最大の人造湖として知られ、幻の魚「イトウ」が生息していることなどから、釣り人に人気があり、カヌーなどのアクティビティを楽しむ観光客も多い。朱鞠内湖畔キャンプ場は、北欧のような風景が楽しめることで人気を集めるが、事件を受けて休業を余儀なくされた。歴史に埋もれた人喰いヒグマ事件をつづった労作『神々の復讐 人喰いヒグマたちの北海道開拓史』の著者が、この地域の数奇な惨劇の歴史を辿る。
大正十二年「首なし死体事件」
しかし最も衝撃的だったのは、ちょうど100年前の大正十二年に起きた「首なし死体事件」だろう。
当時の新聞は次のように報じている。
上川郡温根別模範林及び北線方面において、去月下旬より巨熊が出没し、付近農家を驚かす等危険甚だしく、(中略)同地、石川信治(四三)は二日午前七時頃、三番山に行ったまま三日朝に至っても帰宅しないため、付近に住む大平善一、矢野利作の両名が現場に赴いたところ、信治は自宅を距たる約二百間の箇所で、見るも無惨な有様で噛み殺され、雪中には血痕点々とし、膝蓋骨の一部露出し(中略)、わずかに胴を残すのみにて内臓全部を喰い尽くされあたかも蝉の空殻のごとく惨状目も当てられず(後略)(『北海タイムス』大正十二年五月六日)
しかし実際の遺体は上記報道よりもはるかに損傷が凄まじかった。
『士別よもやま話 第三集』(士別市郷土史研究会)に、三宅裕良氏の聞き取りによる『熊と首なし死体』の挿話が掲載されている。
今も脳裏から離れないのが石川さんの悲報だ。父親が当時消防団に所属していて、熊の襲撃の都度出動していた。そんなわけでその時の様子を推理を加えながらよく説明していた。
現場はすぐ近くの太平さんの裏手あたり。「熊にやられたと聞くと、それっとばかり現場に急行した。死体は木の株にでも腰をかけた様な格好をして坐っていた。発見するのにそう時間はかからなかったが、驚いたことに首がない。みんなで四方八方捜したが見当らなかった。とうとう諦めて死体の移動にかかった処、尻の下から首が出てきた。自分の首の上に腰をかけていたんだ。」
この首捜しは余程印象に残ったらしく何回も何回も聞かされた」(三宅)