「うるせぇんだヨォ、ついてくんな!」3歳の子どもに回し蹴りする母親も…80年代以降、急速に進んだ「母親の劣化」
第一回『20年以上前から変わらない「少子化」のヤバすぎる実態…「自分を生かすだけで精一杯」な30歳男性、「子育てを一緒にできる男がいない」と嘆く31歳女性』より続く。
子育て電話相談から見えてきた母親の変容
人間も哺乳類で、発情期があったとのだと再認識したのが、80年代から90年代のドラマ『金曜日の妻たち』や『東京ラブストーリー』『ラブジェネレーション』などがヒットした頃でした。トレンディーなファッションと会話、自由奔放な若者たちの生き様、略奪愛や不倫愛、告白やら自己チューが盛り沢山のイケイケ脚本で、それまでのドラマがくすんでいるというか、古風に思えたりしましたね。
昭和人間から見れば、「節操がない」し、「両親の立場や世間体も考えないと」だし、「板挟みになっている子どもが可哀想」なストーリーなのですが、「あんなふうに自由に主張して、行動してみたい」「母親である前に女でありたい」思いが吹き出していたと思われます。
筆者は80年代から出版社の子育て電話相談を22年担当していましたが、毎月、データ集計や分析検討会を繰り返していくうちに、当時の社会背景や事件、小説やドラマに影響されるのか、「相談の内容や母親の発想やライフスタイルのタイプ&パターンが5年単位ぐらいで変化していく」と感じていました。

例えば「我が子なのに可愛くない」という相談は、80年代前半では「子どもを愛せない自分を許せない、努力して変えたい」という自省的で、まっとうな人がほとんどでした。それが80年代後半のバブル最盛期には「子どもから離れて息抜きしたい、勉強したい、友達と会いたい」と、まだ希少で料金も高額だった訪問型ベビーシッターに関する問い合わせが増えます。「無料の託児付き」の公民館や劇場、音楽会の催しはいつも予約が満杯になりました。
母親の残業や、不規則な就業時間の仕事に就く女性のために繁華街や駅近のビルの一室を利用した24時間営業の「ベビーホテル」が乱立して社会問題になりましたが、行政は「必要悪」として見て見ぬふりでした。