2023.05.21

「しない善よりする偽善」な社会を乗り越えるため、ハイデガーが考えたこと《21世紀の必読哲学書》

混迷を深める21世紀を生きる私たちが、いま出会うべき思考とは、どのようなものでしょうか。
《21世紀の必読哲学書》では、SNSでも日々たくさんの書籍を紹介している宮崎裕助氏(専修大学文学部教授)が、古今の書物から毎月1冊を厳選して紹介します。
第4回(1)(全3回)はマルティン・ハイデガー『ニーチェ』(全2巻、細谷貞雄監訳、平凡社ライブラリー)です。

(毎月第2土曜日更新)
(『ニーチェ』1、細谷貞雄監訳、平凡社ライブラリー)

ニーチェは『道徳の系譜学』で、私たちの道徳が、他者依存の価値によって侵食されていることを危惧し、奴隷道徳として糾弾した。他者依存の価値というのは、利他的な行為、自己犠牲や自己奉仕などによって、他者を基準として、他者の評価によってもたらされた価値ということである。そうした利他主義の道徳は、いっけん善であるかのようにみえるが、ニーチェはこれを徹底的に批判した。

利他主義のジレンマ

「しない善よりする偽善」というインターネット・スラングがある。相手にどんなに感謝される善行も、見返りを期待してのことだとか自分を良く見せたいだけだとか自己満足にすぎないとか、否定的な反応と表裏一体であり、そこには疑念ややっかみの評価がつきまとう。だからといって何もしないことを善とみなすより、偽善かもしれないとしても行動に移すほうがよい、という言葉だ。

これは、利他主義のジレンマをうまく言い当てている。どんな贈与も陰に陽に見返りを求める行為(つまり非・贈与)として解釈されざるをえないように、どんな善行もその否定を伴ってしまう。どんな行為も善と悪の反転可能性に開かれている。要するに、道徳を他者依存的な価値として理解するかぎり、このジレンマからは逃れられないのだ。

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