「黒い油まみれの海」に放り出され、無我夢中で泳いだ…漁船員たちの「生死の狭間」
伊澤理江さんの『黒い海 船は突然、深海へ消えた』が第54回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞しました。本記事では、受賞作のなかから一部を特別公開します。
なぜ、沈みようがない状況下で悲劇は起こったのか。
調査報告書はなぜ、生存者の声を無視した形で公表されたのか。
ジャーナリストの伊澤理江さんが、この忘れ去られた事件の真相を丹念な取材で描いた『黒い海 船は突然、深海へ消えた』から、放り出された洋上での緊迫のシーンをお届けする。
第1回はこちら
一瞬で放り出された洋上で
第58寿和丸の僚船が次々に現場へ向かい始める少し前、第58寿和丸の乗組員たちは生きるか死ぬかの狭間に放り込まれていた。
船がひっくり返ったのは、文字通り、一瞬である。
第58寿和丸が右側に傾いて転覆する寸前、豊田は傾斜によって高くなった左舷側の放水口につかまっていた。かつて、転覆する船をうまくつたい、天地が逆になった船底に移動して助かったという人の体験を聞いたことがある。急場でその記憶が蘇り、瞬時の判断で同じことをしようとしたのだ。
しかし、とてもそんなゆっくりとした転覆ではなかった。豊田は放水口のスリットにつかまったまま、勢いよく転覆する船とともに全身が海中に沈み込んだ。次の瞬間、海面に戻ろうとする船の反動で、自身も波間に顔を出した。
「豊田さん、こっちだ」
海の中でもがいて、海面に顔を出すと、自分を呼ぶ声がした。

振り向くと、7~8メートル後ろで大道が赤い浮きにつかまっている。網に縛って使う直径1メートルほどのボールのような浮き。予備として第58寿和丸に積んであったものだ。浮きの下部にはロープが付いている。
豊田は泳いで大道に近づき、浮きにたどり着いた。下部のロープを片手でぎゅっとつかむ。この手の握りだけが支えだ。大道も片手でロープにつかまっている。
その状態で2人は洋上を漂った。
離れたところで、他の船員がバシャバシャもがいているのが見えた。昨晩、大道が夢にうなされ、名前を叫んだ仲間だ。しかし、豊田と大道は、助けに向かうどころではない。
2人は何度も波に襲われた。波をもろにかぶり、頭が海中に沈む。豊田はその都度、ロープをつかんでいない片方の手と足を使って、海面に顔を出そうとした。船の上にいれば、2メートル程度の波はどうということはない。しかし、海の中で溺れかけている人間にとって、その波高は脅威だった。思うように泳げない。体が沈む。恐怖心から、叫び声というより「うぉぉぉ」という低い声がうめきになって外へ漏れた。