『愛するということ』『自由からの逃走』などの著作で知られる社会心理学者エーリッヒ・フロム(1900~1980)。
アドラー心理学の著作で知られる岸見一郎さんは、17歳のときにフロムの本に出会い、大きな影響を受けたそうです。
そんな岸見さんが、「フロムの思想をわかりやすく、『今、読む意義』を明らかにしながら、100ページにまとめてほしい」という依頼を受けて執筆したのが『今を生きる思想 エーリッヒ・フロム 孤独を恐れず自由に生きる』という本です。
この本の担当編集者クロサワは、岸見さんにお願いをして、この本の「特別補講」を開いていただきました。
今回は、フロムの原点である「『よそ者』として生きる」ということについてお話を聞きます。
第2回 恋人がいても、結婚していても、高収入でも、満ち足りない人のワケ
第3回 「嫉妬」という永遠の悩みにエーリッヒ・フロムが考えた「解決策」
第4回 「愛」と「性愛」はどう違うのか?名著『愛するということ』に書かれている「意外な答え」
自分を「よそ者」と位置付けたことがフロムの原点
クロサワ ここまでフロムの思想についてお聞きしてきました。そんなフロムの思想が生まれた背景についてもお聞きしたいです。フロムはドイツで生まれましたが、どんな家庭で育ったのでしょうか。
岸見 フロムは敬虔なユダヤ教の一家の息子として生れています。代々ラビ、つまりユダヤ教の教師の家庭で育っているのです。今日、宗教2世の問題もありますが、フロムはこの家庭環境から大きな影響を受けています。
フロムは「近代世界」という言葉を使います。近代世界というのは金儲けの世界という意味です。
フロムはお金儲けにほとんど関心を持たない親や祖父のもとで育ちます。そんな自分は、近代社会とユダヤの伝統的世界の間で育った「よそ者」だと表現します。自分を「よそ者」と位置づけることがフロムの思想の原点でした。
「成功」をめざし、いい大学に入りたい。いい会社に就職したい。そのために小学校のときから受験勉強をする…。そういう生き方をしてきた人の感覚とは無縁な環境でフロムは生まれ育ちました。そのことがフロムの大きな思想的背景になっていると思います。
クロサワ 「よそ者」はフロムの思想において重要なキーワードだと思いました。
岸見先生とお話していたとき、フロムはドイツ語が母語だけど基本的に英語で論文を書いている、それによってフロムの思想をきっちり表現できていないのではないか、とおっしゃっていました。フロムがドイツ語で論文を書くことができなかった、「よそ者」として生きざるをえなかった別の背景があったのでしょうか。
岸見 いえ。フロムは自分の意思であえてドイツ語で書くことを選んだのかもしれません。
私が、高校3年生のときにバートランド・ラッセルの『西洋哲学史』を読み上げ、次にフロムの『自由からの逃走』を読み始めた話をしましたが、そのとき英語の先生から「ドイツ人が書いた英語を読んでも勉強にならない」と言われました。フロムの英語はすぐれた立派な英語ですが、それでも、ドイツ人の英語なのです。英語で書くことに苦労したはずです。
フロムは、英語のほうがたくさんの人に読まれるから英語で書いたのではない。あえて母語でない英語で書くことによって自分の思想を普遍的なものにしようとしたのではないかと私は考えています。
母語でない言語で書くのは難しいです。母語としている国の価値観から離れるためにあえて外国語で書く必要があります。フロムは苦労しながらも、人類に向けて書いたのだと私は理解しています。それはヒューマニストとしての彼の一面です。
ヒューマニティというのは2つの意味があって、広い意味では「人類」、狭い意味では「理性」という意味です。フロムは、母語ではない英語で表現することで、人類の理性に訴えかけようとした。フロムの「よそ者」としての生き方の象徴だと思いました。