多くの人が否定的に使う「世間」という言葉を、なぜ宮本常一は「独自の意味」をこめたのか?

「宮本常一の民俗学は、私たちの生活が『大きな歴史』に絡みとられようとしている現在、見直されるべき重要な仕事」だという民俗学者の畑中章宏氏による『今を生きる思想 宮本常一 歴史は庶民がつくる』が刊行された。

宮本常一を語る上で欠かせないキーワード「世間」の意味とは? 「世間師」なる存在位の役割とはいったい何か?

※本記事は畑中章宏『今を生きる思想 宮本常一 歴史は庶民がつくる』から抜粋・編集したものです。

「世間師」の役割

宮本常一の民俗学で特徴的な言葉に「世間」がある。

世間は一般的に、「世間様」「世間の風」というように共同体の外側にある社会、あるいは人びとの行動を制約する無形の規範のこととしても理解される。人が生活し、構成する「人の世」、人びととの交わり、「世の中」、「世界」を指す言葉になった。そこから「世間」は「世間体」という言葉で表わされる「しがらみ」のもととなる境域として使われることが一般的になる。

しかし、宮本が「世間」という言葉を使う場合、そのような意味とは異なり、独自の意味をこめる。

共同体の共同性のしがらみといった否定的、消極的な意味だけではなく、「世間」を肯定的、積極的に用いている。

「世間師」は共同体の外側にあり、多様な価値で成立している「世間」を渡り歩く存在だ。共同体の外側にある価値、文化や産業や生活といったものを見て歩き、そうした価値を自らの共同体に刺激として持ち帰る。共同体の漸進的な発展は、世間師によってもたらされてきたのである。