徳島市内から車で約2時間半はかかる場所、ここは日本三大秘境のひとつ、祖谷周辺。人びとは山の急斜面に家を築き、畑をつくり、集落内の高低差はなんと390mあるところも! まるで天空に生きるような人たちの、美しくも力強い暮らしに出合う旅をご紹介します。
山あいに生きる人びとの知恵#1【日本三大秘境の「祖谷」天空の集落で受け継がれてきた「美しくも力強い暮らし」】はこちら▶︎
平家の末裔たちとも伝わる
祖先の誇りと知恵
祖谷では平家の落人伝説が語り継がれている。集落を築いた山の中腹の斜面は、耕作も難しいため、生きる場所として積極的に選んだとは想像しにくい。落ち延びた平家一族が身を隠すように山奥に身を置いたのではと考えられているのだ。

平家の落人伝説は全国に残されているが、ここには信憑性のあるエピソードが数多く残る。たとえば墓の風習。ひと昔前まで集落の墓地はなく、各戸の敷地内に置いた墓には大きな墓石は建てず、目立たないように平らな石を置いていた。また、この地域で話されていた方言が、公家言葉に由来するという証言もある。

〈古式そば打ち体験塾〉を営む都築麗子さんは77歳。「私が子どもの頃、まわりの大人たちが話していたキレイな公家言葉を、いまの人にも聞かせてあげたい」と話す。彼女が生まれ育ったのは、東祖谷の山の斜面に築かれた集落。実家で食べていた古式そばを、当時の製法でつくる体験教室を開催している。

都築さんの幼少期、そばといえばそば切り(麺)ではなく、そばがきだった。客人が来たときだけ、そば切りを出してもてなしたそう。生醤油を入れた小さな椀に、わんこそばと同じ要領で次々とそばのおかわりを入れていったそうだ。

「そばを入れるのは子どもの仕事でね。お客さんはお腹いっぱいになったら椀をパッと伏せるのがルールだから、まだまだ食べなよと思いながら入れるのが楽しかったんよ」

そばをひくのは女性の仕事だった。日中畑で農作業をしたあと、夜は土間の作業場で、姑と嫁が夜なべして石臼でそばをひく。
「幾晩も徹夜するからね、眠気覚ましに歌ってたんよ。姑と嫁が仲よくひけば、おいしくなるって歌ね」
彼女は、歌い継がれてきた「粉ひき歌」を披露してくれた。遠くまで届く澄んだ歌声。彼女の目には、ありし日の母や祖母の姿が映っているのか。

都築さんは、この店を地元の同世代の友人たちと切り盛りしている。外国人のお客さんとも、持ち前の明るさでコミュニケーションをとって楽しませる。祖谷の女性たちはよく笑い、よく働く。楽しい会話が飛び交う昼休憩が終わったと思ったら、休む間もなく今度は餅の製造に入った。

また、ワイワイと冗談を言い合って楽しそうだ。とはいえ誰も手は止めず、餅は次々にできあがっていく。