「肩書きがいつのまにか『教授』から『寄付講座教授』に…」「阪大医学部の承認も受けず上場して大問題」安倍政権を後ろ盾にしていた「大阪パビリオン・総合プロデューサー」への疑問

麻布で開かれた阪大大学院教授森下竜一の誕生日パーティー。一見普通の誕生日パーティーだが調べていくとどうやら"黒い”部分が…。著名人も絡む「金権人脈」を巡ったパーティーの実情に迫る。

前編記事『【追及・大阪万博】「「肩書きがいつのまにか『教授』から『寄付講座教授』に…」「阪大医学部の承認も受けず上場して大問題」安倍政権を後ろ盾にしていた「大阪パビリオン・総合プロデューサー」への疑問』に引き続き紹介する。

人脈形成の秘訣

森下は安倍政権下、規制改革会議のメンバーにも名を連ね、内閣官房参与に就いてきた。

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大阪パビリオンの総合プロデューサーになったのも、そんな安倍・菅政権や日本維新の会といった政界の後ろ盾があればこそ、という以外にない。森下はどうやってここまでの政界人脈を築き、成り上がることができたのか。

森下竜一の政界人脈の中心は、やはり安倍晋三である。生まれ故郷の岡山県が選挙区の大物厚労族議員、元首相の橋本龍太郎の伝手で安倍と知り合ったと前に書いた。そこから政府参与や万博プロデューサーに成り上がれた原動力は、創薬ベンチャー、アンジェスの創業にほかならない。

アンジェスの設立は'99年12月、森下が初めに手掛けた創薬が慢性動脈閉塞症向けのコラテジェンなる遺伝子治療薬だった。当の森下はまだ阪大医学部の助教授であり、37歳という若さだ。国立大学発の医療ベンチャーが一種のブームになり、東大や京大などでも起業が相次いだ時期と重なる。

いち早く起業に飛びついた森下は、そこからわずか3年後の'02年9月、大学発の創薬ベンチャー第1号として、東証マザーズ市場にアンジェスの株式上場を果たした。

 

ときは小泉純一郎政権下、規制緩和が金科玉条のごとく叫ばれ、若い起業家が雨後の筍のように現れて株式市場は活況を呈した。アンジェス上場時の一株の公募価格も22万円と高額だった。1万5185株を保有していた筆頭株主の森下は、公募価格で33億4000万円を手に入れた計算だ。文字通り一夜にして億万長者になったわけである。

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