ジャニー喜多川性加害、20年米大統領選、ノルドストリーム爆破、セレンスキー汚職……報道しない自由という社会的もみ消しの被害者たち
見て見ぬふりだったほとんどのオールドメディア
アゴラ5月12日「ジャニー喜多川氏の性加害をついにTBSが報道」にあるように、これまで長年にわたって「だんまり」(=「報道しない自由」)を決め込んでいたオールドメディアも、この深刻な問題に触れざるを得なくなってきた。

直近で騒がれ始めたきっかけは、ニューズウィーク日本版3月16日「BBCのジャニー喜多川『性加害』報道が問う、エンタメ界の闇と日本の沈黙」で取り上げられているBBCのドキュメンタリー番組『捕食者:Jポップの隠れたスキャンダル』であろう。
だが、オールドメディアのほとんどが報道しない自由を駆使してきた、この問題がまったく日本で伝えられてこなかったわけでは無い。
弁護士ドットコム5月13日「なぜ東京高裁は『ジャニーズ性加害』を『事実』と認定できたのか 1999年文春報道の裁判」の記事によれば、最初の報道は1965年の週刊産経3月29日号である。また、1988年には「光GENJIへー元フォーリーブスの北公次禁断の半生記」が出版され、その後も告白本の出版が相次いだ。
その後、1999年10月に週刊文春が「ジャニーズの少年たちが『悪魔の館』」(合宿所)で強いられる“行為”」などの記事でキャンペーン報道を行い、それに対して喜多川氏とジャニーズ事務所が文芸春秋を提訴した。
この裁判の経緯の詳細は前記弁護士ドットコムの記事を参照いただきたいが、ポイントは「東京高裁(2003年5月15日)は、少年らの供述は具体的で全体として信用でき、『セクハラに関する記事の重要な部分について真実であることの証明があった』として、賠償額は880万円から120万円に減額した」ということである。その後ジャニーズ事務所側は最高裁に上告するが、2004年に棄却され高裁の判決が確定したのだ。
最初の報道があったのが、今から58年前の1965年、2004年高裁によって「性加害」が認定されてからでも19年が経過している。
その間、ほとんどのオールドメディアが「報道しない自由」を駆使し、むしろジャニー喜多川氏やジャニーズ事務所を持ち上げてきたのは紛れもない事実だ。
日本外国特派員協会において性被害を告発したカウアン・オカモト氏は、「(事実を知っていたら)、多分(ジャニーズ事務所に入ることは)なかった」と述べている。
早ければ58年前、少なくとも19年前には「性加害」の拡大を防げたはずのオールドメディアの不作為(報道しない自由)によってもたらされた被害は余りにも大きすぎる。