自分たちには「親子」という関係性しかない
──拓真さんが勝利者インタビューを受けていらっしゃるときに、その後ろで尚弥さんと声を掛け合っていましたが、どんなお話をされたのですか。
真吾:あまりたいしたことは言ってないのでよく覚えてないですが、「まあ、なんとかなったな」とか、そんな程度のことですよ。このタイトルを獲ることは、当たり前というとちょっと語弊がありますが、その先に目標はあるので、「絶対にやらなければならない」という認識でいました。ですから「やったぞ!」という達成感はなかったです。

──ということは、前回の暫定を獲ったときの感慨は親御さんとしての面が強かったけれど、今回はトレーナーとして、まだ先を見すえていたということでしょうか。
真吾:いや、練習中にしても試合のときにしても、自分は親としての自分しかいないのかなと思います。トレーナーと選手いう感覚は1ミリもないなと。つねに二人には親心で接していて、自分の子どもがボクシングがうまくなるにはどうしたらいいのかと。その思いは二人がボクシングを始めたときからずーっと変わらず一緒です。
──それは尚弥さんがパウンド・フォー・パウンド1位になるようなレベルになっても変らない?
真吾:変らないですねえ。自分たちには「親子」という関係性しかないんで。
──それで他の選手は見られないとおっしゃるのですね。
真吾:他の選手を見るためには、それなりの覚悟がいると思うんです。格闘技なので、命に関わることが起こる危険性もあるわけで。自分の子どもなので、二人がプロになるときには覚悟が固められました。でもそこまでの覚悟が他の子を教える場合には、自分は持てないと思うんです。命を賭けて戦うので、中途半端にはできないですから。自分は子どもに必死すぎて、他の子にも同じように接するのは無理だなと。
──そういう意味では通常のトレーナーと選手という関係性とはかなり違うのですね。
真吾:もちろんトレーナーさんは、みな覚悟を持って担当する選手に接していらっしゃいます。ただ自分にはそれはできないので、他の選手に安易に中途半端なアドバイスをしちゃいけないと思っています。もちろん、ジムで一生懸命やっている選手に「こういうふうにやってみたら?」みたいなアドバイスをすることはありますが。
──しかし子どものころからずっと同じ関係性でいられるというのは、なかなかできることではないように思うのですが。

真吾:互いの色が違えば、刃向かうこともあるのかも知れませんが、家族だし、気心も一緒だし、だからもめることもないですし。子どものことを思って言ってくれている、という思いが伝われば、あえて反抗する必要もないんじゃないでしょうか。
──やりたいボクシングの方向性が違ってくる、というようなこともない?
真吾:ないですねえ。そもそも自分、子どもの気持ちを尊重したいという気持ちが強いので。自分も子どものころ、大人嫌いだったんで、大人になっても上から子どもを抑えつけるようなことは絶対にしないとずっと思っていた。その気持ちのまま、いまも子どもに接しているつもりです。
──拓真さん、尚弥さんが自分のほうから「こういうボクシングをしたいんだけど」と言ってくることはあるのですか?
真吾:そういうのも特になくて、自然にやっているという感じです。スパーリングなどで、いいところは伸ばして、悪いところは修正する、その繰り返しです。