もはや美容家の枠を越え、人生のメンターとして多くの女性たちから支持されてきた君島十和子。独身の頃はモデル・女優として活躍して、1995年に結婚してからは主婦として家事や子育て専念した時代もあるし、18年前に立ち上げたスキンケアブランドFTCを切り盛りする実業家としても有名。7年ぶりとなる著書『アラ還十和子』には、変わらない美を支えるルールだけでなく、経験豊富な人生で培ったポリシーや思考術が惜しみなく綴られている。

日本中から好奇の視線を浴びながら君島家に嫁ぎ、ちょっと想像するだけでも相当なプレッシャーを感じていたはず。それでも母親として2人の支え、理想の親子関係を築くために、どんなスタンスで育児に向き合ってきたのか?

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 働くことに罪悪感があった時期にしてしまっていたこと

1997年に長女を出産。翌年には雑誌で取材を受ける形で美容家としてのキャリアをスタートさせ、子育てをしながら20年以上も仕事を続けてきた君島十和子。当時は共働きが当たり前の時代ではなかったこともあり、働くことに罪悪感を抱いていた時期もあったとか。それが子育てで裏目に出てしまったことも。

「専業主婦の母親よりも子どもと一緒にいてあげられる時間が短いことが申し訳なくて、過保護になってしまったり、甘やかしてしまうこともありました。ホームドラマのように親子でお菓子作りをするような時間はないけれど、代わりに並ばないと変えないような最先端のお菓子を買ってあげたい……なんて思ったことも。品薄なものでもなんとかして手に入れていましたし、冬でも絶対に風邪を引かせないように厚着をさせたりして。悲しくないように、快適であるように……娘たちが小さい頃は、そればかり考えていました」

親の手厚いサービスが子どもの成長を助けるとは限らない。それに気づいてからは、「転ばぬ先の杖」をしないことを心がけた。

撮影/嶋田礼奈

「娘が小学校で恥をかかないように、例えば『早く宿題をやりなさい』『明日の学校の準備をしない』などと、さんざん先を読んで助言してきたのですが、そうすることで彼女たちが成長する機会を奪ってしまう可能性があることに気づいたんです。自分で失敗することでしか学べないこともあるので、今でも子どもがやることにアレコレ口出ししないように我慢しています」

進路に関しても、親の夢を託さず、子どもの意思を優先すると決めていた。それは自分自身の後悔から生まれたポリシーだという。

「もともと私は幼い頃から宝塚歌劇団の大ファンで、祖父母にたびたび歌舞伎座や帝国劇場に連れて行ってもらったこともありました。華やかな世界にのめり込んで、自然と『自分もあの世界に入ってみたい』と思うようになったんですよね。けれど、尻込みしてしまって、宝塚受験を目指すためのレッスン教室に見学に行くことから逃げてしまって……。その後、夢に踏み出さなかった後悔がずっと残っていて、高校3年生の頃にJALのキャンペーンガールに合格したときは、勇気を出して芸能界に挑戦することができました。そうやって『とにかく挑戦してみる』という性格が培われたからこそ、結婚して引退した後にも美容家として稼働することができたのだと思います。だから娘たちに対しても、できる限り進路に関しては口を出さず、彼女たちがやりたいと思ったことを支えてあげる存在でいたいと思っています」