2023.05.27
# 批評

「この映画は絶対に擁護しなくてはいけない」と蓮實青年を駆り立てた「幻の映画」がついに劇場公開

蓮實重彥氏が「私の原点」と語る「幻の映画」が劇場公開される――

5月27日よりシネマヴェーラ渋谷で特集「初期ドン・シーゲルと修行時代」が始まる。そこで上映される『殺し屋ネルソン』(’Baby Face Nelson、公開1957年)。本作は蓮實重彥氏が「私の原点」と語る作品だ。

DVDなどソフト化されておらず、上映の機会もほとんどなかった本作は「幻の映画」とも言われている。

『ショットとは何か』でドン・シーゲル『殺し屋ネルソン』について語っている箇所を再編集したうえで掲載する。

蓮實重彥著『ショットとは何か』蓮實重彥著『ショットとは何か』

誰もが題名を聞いただけで馬鹿にする

─蓮實さんの映画批評では、1950年代の重要性を強調していらっしゃいますね。我々は蓮實さんが映画の黄金時代にリアルタイムで映画を見ていたと思ってしまいますが、実は蓮實さんが映画を見始めたとき、すでに映画は衰退しはじめていた。終わりを迎えつつあったともいえると思います。1950年代というと、小津もフォードもヒッチコックも現役でしたが、ある意味、正当には評価されていなかった。もう少し後に、ヌーヴェル・ヴァーグによって再評価される映画作家たちの作品を好んでご覧になっていた。そして、その時期に古典的ハリウッド映画の伝統をかろうじて(?)引き継いでいたのが、ニコラス・レイやドン・シーゲルだった。しかし、彼らの作品もきちんと評価されておらず、そのことに怒りを覚えていた。その気持ちが蓮實さんの映画批評の原動力になっていると推察するのですが、いかがでしょうか?

蓮實 いまいっていただいたことではっきりしたのは、ドン・シーゲル監督の『殺し屋ネルソン』(1957)を何の予備知識もなしに見て、いきなりとち狂った60年も昔の自分がまぎれもなく存在したという現実です。しかも、これを擁護した仲間が、わたくしのまわりには一人もいなかった。これも渋谷東宝の地下の小さな小屋で封切られたから、メジャー系の会社の作品ではない。ユナイト配給のB級専門の独立プロのアル・ジンバリスト製作の作品です。でも、この映画がとてもおもしろいと大学で話題にすると、見てさえいないのに、誰もが題名を聞いただけで馬鹿にする。そのとき、初めて、この映画はわたくしのために撮られた貴重な作品なのだという錯覚に快くまどろんでいきました。そのうちに、銀座の洋書屋においてあったフランスの「カイエ・デュ・シネマ」誌が『殺し屋ネルソン』をある程度評価していることを知り、ことによると世間の評判とはまったく異なる自分の判断が間違いではないのかもしれないという錯覚から、映画を語りはじめたわけです。ことによると、自分の評価は正しいのかもしれない。そんな気分になったのはそれが初めてでした。しかし当時の日本の情勢は、その正しさをこれっぽっちも認めてくれない。だから、まだ映画批評の道に進もうなどとは思ってもみない時期だったのに、自分はこの作品だけは擁護する方向に進もうと心に決めたのです。

 50年代を代表する映画作家としては、当時はボテッチャーなどと表記されていたバッド・ベティカーもいましたが、これは身近に東大のクラスメイトだった詩人の天沢退二郎のような同調者もいましたし、双葉十三郎さんもその星取り表でそれなりに評価していました。しかし、『殺し屋ネルソン』に一人で狂っていたわたくしは、孤立無援の状態に陥っていたのです。もちろん、この低予算の作品は、それまで見ていたラオール・ウォルシュ監督のギャング映画のような小粋にしてかつ精巧な演出の作品とは異なっていることは、わかっていました。しかし、古典的なハリウッド映画とは異なるフィルムの鋭い質感のようなものに触れ、何か新しいものの始まりに立ちあっていたかのように、心がふるえたのです。もちろん、フォードやホークスの古典的なショットの端整さを好んではいました。しかし、それとは異なる画面の生の力のようなものが、わたくしをとらえて離さなかったのです。

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