「どれだけ売りたいんですか?」
「とりあえず50億ですかね。買い手はいたんだけど、事情があって、買うのを1ヵ月くらい先にしたいらしいんです。そこまでうちも抱えられなくて」
「けっこう大きいですね。うちはリスク管理が厳しいから、そんなに持てないですよ」
予想していた反応だった。外資系証券は顧客が広くないので、保有できる債券の在庫量が限られている。値段次第で少しは持ってもらえるのではないか。そんな期待が打ち砕かれたのは、折り返しの電話が来たときだった。
外資系証券の買い値は、ぼくの買取価格の1円下だった。ぼくはわざと大きな声で笑ったが、電話の相手は何もいわずにじっと様子をうかがっていた。ぼくは受話器を置くと、立ち上がって深呼吸をした。部長席から注がれる冷ややかな視線から、すぐに目を逸らした。
業績を警戒される
次に相談したのは、営業チームの山口だった。機関投資家を何件か抱えており、一緒に大きな取引を仕掛けたこともある。相談があるというと、山口の好きなラーメン屋についていくことになった。
神田の街が好きなのは、周囲を気にせず会話ができることだ。大手町のオフィス街と違う雑然とした雰囲気に、10分でも散歩した気分になる。高架下を歩きながら午前中の取引について話すと、常磐小学校前の赤信号で立ち止まった。
「俺のお客さんなら興味ありそうだな」
「問題は、時間がないことなんです」
ぼくの言葉にため息をついて、山口が時計を見た。12時半にはじまる午後のマーケットが閉まるのは3時だ。2時間半しかない。どんな切り口で投資家に持ち掛けるか考えていたのだろう。