「すべての訪問者は、日本軍兵士がいかに勇気があり命をささげたかを語るべきだ」…第二次大戦のニミッツ提督の言葉が残る日米の激戦地・ペリリューに「いま米軍が今戻ってきている理由」

G7広島サミット直後の5月22日、米国は、パプアニューギニアと防衛協力協定に署名した。

パプアニューギニアのニューブリテン島には、第二次世界大戦中、米軍の西進を長く食い止めた旧日本軍のラバウル航空基地があった。中国も最近、太平洋島しょ諸国の戦略的価値に注目し、パプアニューギニアのお隣のソロモン諸島と安全保障協定を結ぶなど、情勢が活発に動いている。

この同じ太平洋島しょ地域、パプアニューギニアの近くに、太平洋戦争の最終盤において日米両軍の激戦地となった島、ペリリューがある。現在、ここに米軍が戻ってきている。

現地ルポを前編『「日本軍『全滅必至の戦い』が米軍の『日本本土進攻作戦』の決行を食い止めた」…米中のかけひきが激しさを増す太平洋島しょ地域に残る「激戦地・ペリリュー」の記憶』に引き続きお届けする。

現地でよみがえる第二次世界大戦時の記憶

ペリリュー島には、旧日本軍の燃料貯蔵庫跡と飛行部隊司令部跡も残されていた。燃料貯蔵庫は米戦艦「ミシシッピ」の砲撃を受け、一部が崩落して、曲がった鉄筋が露出していた。司令部跡はほとんど崩落した状態だった。

破壊され、放置された日本軍戦車もあった。旧日本軍の軽戦車は米軍の攻撃によって次々に撃破されたという。さびた車体の間から緑の草が顔を出していた。ペリリュー島の南端、アンガウル島が見える場所に天皇皇后両陛下が2015年4月9日に慰霊の祈りを捧げた記念碑が建っていた。

日本軍戦車/写真:牧野愛博
 

日米の最激戦地となった「ブラディノーズ・リッジ」には600ヵ所もの洞窟があり、日本軍は内部をつないで、そこでゲリラ戦を続けた。ふもとには、日本の関係者が建立した「ペリリュー神社」やペリリュー戦没者諸霊供養塔などが立つ。

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