
「すべての訪問者は、日本軍兵士がいかに勇気があり命をささげたかを語るべきだ」…第二次大戦のニミッツ提督の言葉が残る日米の激戦地・ペリリューに「いま米軍が今戻ってきている理由」

「ペリリューに戻ってきた」米軍
少し離れて、米第1海兵師団などの戦闘記念碑もある。ペリリュー神社の脇に「この島を訪れるすべての訪問者は、日本軍兵士がこの島をまもるために命を捧げたことが、いかに勇気があり、愛国的だったかを語るべきだ」というニミッツ提督の言葉が刻まれた碑もある。

日本軍の猛烈な抵抗に遭い、数日間で戦闘が終わると考えていた米軍のもくろみは外れた。日本軍は従来の「水際で米軍を全滅させる」という手法を捨て、島内の洞窟などにこもったゲリラ戦を挑んだ。ペリリューでの戦闘は2ヵ月以上続き、フィリピン攻略戦に間に合わなかった。ペリリュー島に最初に上陸した第1海兵師団も手ひどい損害を受け、後続の陸軍部隊と交代した。
こうした厳しい記憶から、米国内ではペリリューが「忘れ去られた戦場」になった。飛行場も戦略的価値がないとされ、戦後に放棄された。戦後は長い間、ペリリュー島と最南端のアンガウル島を結ぶ軽飛行機のチャーター便が飛ぶだけだった。
ところが、ジョエルさんらによれば、米軍の第1陣が昨年7月、ペリリューにやってきた。約60人の部隊はパラオに常駐する米軍のCAT(民生支援)チームとは別の部隊だった。州庁舎そばの道路舗装や、ペリリュー飛行場の周囲に茂るジャングルの伐採などを行った。3月初めに、第2陣も到着したという。