「すべての訪問者は、日本軍兵士がいかに勇気があり命をささげたかを語るべきだ」…第二次大戦のニミッツ提督の言葉が残る日米の激戦地・ペリリューに「いま米軍が今戻ってきている理由」

牧野 愛博 プロフィール

「戦争抑止」のための軍備となるか

パラオ政府もしたたかだ。米軍のペリリュー飛行場の再整備について、特に異議を申し立てていない。むしろ、ウィップス大統領は、パラオの安全保障のため、パトリオットなどの配備が必要だという考えを示している。

パラオの人口は約2万2千人と言われ、うち4千人は労働ビザがいらない米国のグアムやサイパンなどに住む。一方ペリリュー島の人口は500人とも400人とも言われる。産業がほとんどないパラオでは、「労働人口の半数は公務員で、もう半数は観光業や農業などに携わる」とも言われる。自由連合盟約に基づく、米政府からの莫大な支援金はパラオの命綱でもある。

ペリリュー州は天皇皇后両陛下の訪問を記念し、4月9日を州の祝日に制定している。今年も4月9日、ウィッブス大統領らが出席し、訪問8周年の記念式典が行われた。一方、同州は昨年、新しい祝日を設けた。米軍CATチームが、ノーズブラッド・リッジに登る階段を整備したことを受け、9月15日をベテランズ・デーの祝日に指定した。ただ、日本側の関係者は「9月15日は、米軍がペリリュー上陸を開始した日です。日本人としては少し違和感を覚えます」と語る。

生きていくため、パラオは日米が死闘を繰り広げたペリリューで、どちらにも苦い顔をしない。

島を離れるため、港に向かう途中、ペリリュー島の小学校のそばを通った。ペリリューの小学校は8年制。高校がないため、子どもたちは小学校を卒業すると島を後にする。グラウンドでは、日本が教え、パラオ人が一番好きだという野球に、子どもたちが興じていた。

ペリリューの飛行場再整備などの動きについて、「戦争準備だ」「好戦的だ」という指摘が出る。しかし、米太平洋陸軍司令官や在韓米軍司令官を務めた、ビンセント・ブルックス氏は「中国に、台湾侵攻は成功しないかもしれないと思わせることが、危機の発生を遅らせることになる」と語る。

中川州男大佐慰霊碑/写真:牧野愛博
 

79年前、ペリリューで戦った日本軍兵士たちは、島から生きて帰れるという希望を捨てざるを得なかった。ペリリュー飛行場の再整備が、そのようなつらい思いを二度と繰り返さないための力になってほしいと思う。

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