「日本軍『全滅必至の戦い』が米軍の『日本本土進攻作戦』の決行を食い止めた」…太平洋戦争の激戦地「ペリリュー」にいま米軍が戻ってきている理由
活発化する米中のかけひきと「日本軍の名残り」
G7広島サミット直後の5月22日、米国は、パプアニューギニアと防衛協力協定に署名した。この日には、インドのモディ首相もパプアニューギニアを訪れた。
パプアニューギニアのニューブリテン島には、第二次世界大戦中、米軍の西進を長く食い止めた旧日本軍のラバウル航空基地があった。中国も最近、太平洋島しょ諸国の戦略的価値に注目し、パプアニューギニアのお隣のソロモン諸島と安全保障協定を結ぶなど、情勢が活発に動いている。
パプアニューギニアの北西に位置するパラオ・ペリリュー島。第2次大戦後半の1944年9月から11月まで、日米両軍が激戦を繰り広げた島だ。しかしペリリューは、米国にとっては他の激戦地とは一線を画す存在だ。
ペリリューでの戦いは大戦中、硫黄島、沖縄と並び、米軍を苦しめた戦場だった。戦後、硫黄島と沖縄は米国の輝かしい戦史の1ページに加えられたが、ペリリューは「忘れられた戦場」になった。米軍に屈辱を味わわせた場所だったからだ。
米軍は当時、旧日本軍の飛行場があったペリリューを、さらに西方に位置するフィリピン攻略の拠点にしようと考えた。ところが、激しい日本軍の抵抗に遭った。ペリリューを占領できないでいる44年10月、フィリピン攻略戦が始まった。ペリリューは米軍にとっての戦略的価値を失った。米側に1万人以上の戦死傷者も出した。

ところが今、そのペリリューに再び、米軍がやってきた。中国の中距離ミサイルの脅威に対抗するため、第二次世界大戦後に放棄した飛行場の再整備に乗り出したからだ。
一方、2015年4月のペリリューへの天皇・皇后両陛下の慰霊の旅から8年が過ぎた。地元のパラオ政府も、ペリリューにそれぞれの視線を注ぐ米中の間をうまく立ち回っている。ペリリューは最近の国際情勢の縮図になっていた。
